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HIRANの原点となるお酒 その1

皆様、こんにちは。
飛鸞の杜氏をしております森雄太郎です。
トップの写真は私が蔵に戻ってきて1、2年目頃で麹作業をしているところです。

今回は、HIRANの原点について一部ご紹介させて頂きます。
HIRANの原点というと実は色々存在します。
人・酒造り・お酒といろいろな原点の集合体がHIRANというブランドの大きな原点を構成しているイメージです。今回は、お酒の原点について少しお話させて頂きます。

「飛鸞 純米65」というお酒


今まで何種類ものお酒を飲んできて思い出に残るお酒もいくつかあります。
その中でもHIRANの原点と思えるお酒は1つと考えております。
そのお酒は「飛鸞 純米65」というお酒です。
※ちなみに65は精米歩合を表しております。

「飛鸞 純米65」は私が最初にお米選びから商品コンセプトまで含めて一から考えてその当時の飛鸞というお酒はこれだ!と思って表現した最初のお酒になります。蔵に帰ってきた当時、このお酒を造るためにいくつもの大変なことがあったのですが、その中でも大変だったのが「どういうお酒を造るか」というより「何を使って造るか」でした。

悩み続き


日本酒は水と米と菌、そして人が関わって生まれる一見シンプルな飲み物のようですが、一つ一つの要素がクセが強く、非常に奥深い複雑性を兼ね備えた飲み物なんです。
そのため、その中の要素の1つ1つにこだわりがないと作品にも深みが出ないと私は考えているのですが、帰ってきた当時、お米という大事な要素がなかなか決まらず何のお米を使ってお酒を造ればいいのかとても悩まみした。

悩んだ大きな理由というのが、地元にオリジナルの酒米がないという事でした、、、
どういう事?!と思われるかもしれませんが、
全国どこでもある訳ではないのですが、酒処の県では大体オリジナルの酒米があります。私の修行先がある宮城県にも「蔵の華」、令和に入り「吟のいろは」という新しい酒米もできたみたいです。
このような県産オリジナルの酒米は、その地域において栽培しやすいように品種改良されたものであったり、山田錦、雄町といったお米のようにお酒にした時に他の酒米にはないような個性がしっかり感じられるような品種改良がなされたりしております。そうやって各県の技術センターが中心になって独自のお米を開発して地域の伝統産業の発展へと少しでもつながるよう頑張ってる訳ですね。感謝です。
そして、何の根拠もなく長崎にもあるだろうと思って帰ってきた愚かな私は、長崎にはオリジナル米が無い事を知り勝手にショックを受けておりました。
これも宮城県という酒造りする上で贅沢な環境にいたせいですね、、、笑

悩んだ末の出会い


そんな経緯で「何を使って酒造りするか」という点で私はまずお米選びに奔走する訳です。
九州沖縄農業研究センターへ出向くものの、長崎オリジナルの酒米を作るために酒米の品種改良をしたい!→最低でも10年かかりますよ。という現実を突き付けられたりしておりました。
正直、ワインと違い日本酒はお米の名産地から買い付けてお酒を造るという文化?があるため、本来こだわり過ぎなければ酒米を手に入れるのは難しい事ではないのですが、飛鸞のコンセプトを地元の原料を使ってお酒として表現する事に決めていたので、お米という点はどうしてもこだわりたかったのです。

そんな中で酒米はないけど、食用米なら長崎でも奨励品種になっており、地元に馴染みのあるお米があるということを知りました。
それが「にこまる」です。

そこで地元農家の方にお願いしてにこまるを作ってもらい、平戸産の原料を使ってできたお酒が「飛鸞 純米65」というお酒です。

飛鸞 純米65(HIRAN にこまるの先代商品)

写真が懐かしいですね、、、
現在の作品とは見た目がかけ離れているせいか遠い昔のように感じます、、

食用米をメインに据えた酒造りなんて中々耳にしないかもしれませんが、修行先の浦霞醸造元では、食用米の使用率が非常に高かったのです。
確か、宮城県全体でも食用米使用率は全国と比較して高いはずです。
そのお陰で食用米を使うという決断もさほど難しい事ではなかったような気が今ではしてます。
ちなみに、「浦霞 生一本」というササニシキという食用米を使用した純米酒があるのですが、それが私のイチオシです。もし見かけた際は、ぜひ飲んでみて下さい。マグロの刺身など宮城の地のものと合わせるなら最強のお酒だと思っております。

飛鸞の酒造りのはじまり


一からブランドを立ち上げることがこれ程に大変なのかという事を痛感しながら何とか飛鸞のコンセプトを表現した最初のお酒ができた訳ですが、私の未熟さもあり1本目のにこまるのお酒は荒削りで全く思い描いたお酒にはなりませんでした。
それでも年間タンク4本程度しか仕込まない酒蔵では仕込み1本の重みは計りしれないものがありましたので、まずお酒になっただけでも良かったなという気持ちでした。当時は、夜も発酵の状況を確認しに行ったりして、お酒を搾って瓶詰めするまで生きた心地はあまりしていませんでしたが、それでも蔵の売店に来られたお客様が美味しいと言って買って行かれる姿を見ると、こだわりを持って全力の愛情を注いで造ったのが報われた気がして嬉しかったのを今でも覚えております。
ようやく飛鸞の酒造りがスタートしたばかりですが、ここから毎年の酒造りの変化が激しさを増していきます。

次回は、「飛鸞 純米65」から「HIRAN にこまる」へと変遷していく流れをお話できたらと思っております。

最後まで読んで頂きありがとうございました。

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