![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/87765865/rectangle_large_type_2_77c9d858b296f0d4f46b91a78694ba82.png?width=1200)
外回り営業中に2時間以上、ベンチでぼーっとしていた1998年冬(5)
2つ目の出張先は関西だった。
新幹線で新神戸まで行き、そこから三宮駅まで歩いて書店営業活動をした。
それが初日のことだった。
関西はたしか2日では足りず、2泊したような気がする。
名古屋でもそうだが、関西も、どこに行ってもみなやさしく、温かくしてくれる。
この出張で、個人的に目標にしていたことがあった。
小2のときに父と兄、妹で訪問した明石の家を再訪することだ。
この家には、遠い親戚のおじいちゃんが独居していた。
木造の狭い平屋建て。
部屋は一つしかない。
トイレはボットン便所だった。
私たちはそこを使わず、近隣のどこかのトイレをつかわせていただいた気がする。
古い、おじいちゃんだったから、18時には床についた。
夕食は外食ではなく、そのおじいちゃんの家で食べた気がする。
それとも、おじいちゃんがひとりで晩御飯を食べるのを
私たちは見ているだけで、私たちは外食を済ませてきたか。
よく覚えていない。
ただ、夜に明石の岸壁で、近所の方が太刀魚釣りをしているのを
見に行った記憶はある。
これはおじいちゃんが床についたあとだったか。
記憶がはっきりしない。
18時に一緒に床についたはずだったが、太刀魚釣りを見た記憶とは矛盾する。
あるとき、夜中に目を覚ますと、大きなゴキブリが、だれかの枕元に
漂っていた。
私は再び目を閉じて、現実から離れることにした。
そんなおじいちゃんの家で過ごした夜の記憶だが、
その後、そのおじいちゃんの家は火事で焼失してしまった。
おじいちゃんもその際に亡くなった。
警察の調べでは、焼け跡から見つかったおじいちゃんの死体には、
暴行を受けたあとがあった、と聞いたような記憶があるが、定かではない。
だから、その、火事で焼失してしまったはずのおじいちゃんの家を
再訪したかった。1998年当時の現状、どうなってるのか、見てみたかった。
その日の営業活動を少し早めに終え、私は新快速で明石に向かった。
翌日からは大阪に行くから、新神戸、三宮で営業活動をした初日に
明石に向かった、と考えたほうが自然だろう。
実家の親父と携帯でやりとりしながら、私はおじいちゃんの家があったと思われる場所に近づいた。
そもそもここに来たのは1度だけだし、幼少のころだから、記憶がはっきりしない。
このなのかな、という場所にはたどり着いた。
そのあとは、明石の岸壁に立ちながら、実家の父との携帯でのやりとりを続けた。
あとでお袋に聞いた話しだと、このやりとりを傍で聞きながら、
お袋は「こいつは死ぬんじゃないだろうか」と感じていたようだ。
母の愛というのは偉大である。