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あの世とこの世、彼岸と此岸を自由に行き来する

私は医学部受験予備校の職員として長く受験生に関わった。

自分自身としても三浪しているので、長く受験勉強に関わってきた。

私が言いたい、あの世とこの世とは、
模擬試験に例える。

模擬試験を受けているちょうどその最中がこの世。
模試が終わって、解答解説を見てしまったあと。それがあの世である。

多くの人が愚かだが、愚かな受験生は、この「この世」と「あの世」の間に、
厳然たる違い、崖があることをわかっていない。

このぴっちゃあ多くの人が愚かだが、愚かな受験生は、解答解説を見て納得できたら、
「あぁ、この問題は解けたのに」と思ってしまう。
解答解説を見て理解できただけで、「この問題はできた」ことにしてしまうのだ。
もうあなたは「あの世」に来てしまっているのに、さも、まだ「この世」にいるかのように、「あの世」から「この世」を見て、「この世」にいる自分の実力を高く評価してしまう。

これはありがちなことだ。

私は毎晩、プロ野球、阪神タイガースの試合を観る。

私がなぜ阪神戦の試合展開に夢中になるかと言ったら、
私は「あの世」と「この世」の答え合わせをしたいのだ、現にしているのだ、と、はたと気づいた。

このピッチャーを続投させて、どうなったのか。
このバッターを打席に立たせて、もしくは代打を出して、果たしてどうなったのか。

試合展開を見ていれば結果は出る。結果を見てしまえば、私は「あの世」にいる。
そして「あの世」にいる自覚をもって、「この世」を見る。

ただ、違うのは、私は傍観者に過ぎず、人事権はない。
監督ではないので、試合の人事に口を出すことはできない。
ただ、「あの世」にいる自覚をもって、「この世」の人事を見ることで、
人間の社会というもの、人の育て方、考え方の育て方、というものが学べる。
私はそう見ている。

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