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パンダとミイラ、そして私について

寝っ転がって本を読んでいた。
ふっと傍にある棚の上にあるパンダの置物が目に入った

陶器でできた、艶やかな光沢のある、小さなパンダ

ずっと昔、どこかの蚤の市で見つけて
その可愛さにひかれて買ったもの
確か、五百円もしなかった

そのパンダを見つめていたら、こんなことを思った

陶器は土に還らないとどこかで読んだ
ということは、このパンダは私の死後も残るのか
百年、二百年、もしかするとそれ以上
私という存在よりもずっとずっと長く、残る

私は人間という生き物だから長くてもせいぜい長くて百年

最近、エジプトでは四千三百年前のミイラが発見されたという
かつて肉体だった器だけなら
人間もそんなに長い間、存在できるとは!
陶器のパンダに負けてない
人間もミイラになれば
永遠(と思えるぐらい長い時間)に存在することができるのだなぁ

ところでミイラは人間なのか、物なのか
かつては人間だった、でも
ミイラになった今は、どちらなんだろう

よく出汁をとるのに使う煮干しも
じっくり見つめるとやっぱりミイラだ
私は時々、魚のミイラで出汁をとり
猫にもちょっとだけ分けてあげたりする

ミイラと私の違いはその肉体という器に自分が入っていること
自分っていうのが何かはちょっと難しいけど
つまり、主体的に動こうとする何かがかいっていること
ざっくり夢がない言い方をしてしまえば
それは脳みそかもしれないけど
とにかくその肉体を動かす有機的な仕組みがあること

もし、私が死んだら
肉体が腐敗して、時間が経つといずれそこから水分がすっかり抜けて
骨とか皮膚の残骸とか髪の毛とか
そんなものになるんだろう

そしてミイラ化したかつて「私」だった器は永遠に存在する(かも?)
陶器のパンダと同じように

きっとその時には
「私」はパンダと同列
やっぱり「物」で、言い換えれば「物質」になるのかな

でも宇宙は元素でできているっていうし
私もパンダも、この世のすべてのものが
元素からなる物質なのは当然なのかもね

元素は永遠に存在するらしいから
私もパンダもミイラも永遠なのも
当然なんだろうな

でも、そうなると

永遠じゃない、この私は
陶器のパンダと今はまだ、違っている
「中身」の入ったこの私は
いったい何なのかな

私って簡単に言っても
おぎゃーって赤ちゃんで生まれてきた時から
すっかり大人になった今では
まったく別のものみたいだし
何時でも揺らいで変化し続けてる
永遠とは真逆

一瞬たりとも同じではありえない
変化し続ける私
植物も動物も昆虫も
いわゆる「生命」って言われるものはみんな
ひと時もじっとしてはいられない

永遠の反対語を調べてみると
瞬間、瞬時、一瞬、刹那
そんな言葉が出てきた

時間には最小単位があるらしい
これ以上もう短くできない時間の長さ
プランク時間とかいうらしい

その一番短い時間ごとに自分を観察したとして
その前後にはやっぱり微妙に違う自分がいるだろう

もちろんパンダとか、ミイラとかだって
刻々と変化し続けていつかは崩壊するだろうけど

それでもやっぱり
永遠と刹那を内包している
私という存在は
不思議だ





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