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【日記31】昨晩からの予感〜陽のあたる裏通り

1.28 SUN (9℃/2℃) 唯一無二の親友

昨晩から予感があった。
朝起きて、確信に変わった。
喘息来た、と。
幸い最初期のうちに薬を飲めたので、それほどひどくはならそうだったけれど、楽しみにしていた都電荒川歌会祭の参加を断念した。主催の方々には当日の連絡で迷惑をかけてしまった。

咳をしつつも、外の新鮮な空気も吸わないと苦しいので、ゆっくりと家の近所を妻と散歩した。
いつの間にか妻の友達の家を探して歩いていたら、偶然、本人に会うことができた。ちょうど家から出てきたところだった。
昔、その友達が重い病気をしていた折、まだ付き合う前の妻は涙を見せた。
今は快復していて、元の生活を送っているらしいが、コロナには細心の注意を払っているらしく、妻はその事情を慮ってあまり遊びに誘っていなかった。
でも、今日を境にまた少しずつ家を行き来したり、遊びに行ったりすることが復活しそうな気がする。
そうなったら良いなと思う。
唯一無二の親友と話している人を見るのが、僕は好きだ。

1.29 MON (11℃/2℃) ダンレボと詩集

仕事中にラジオから「Butterfly」が流れてきて、思わず手を止めて聴き入ってしまった。
和田光司ではなく、初代のダンスダンスレボリューションに収録されていた方。話題になったのが98年というから、僕は10歳だった。ゲーセンにまったく興味のない子どもだったけど、どこでそんなに流れていたんだろうというほど当時よく耳にしていた気がする。
20代真ん中の同僚に「この曲知ってる?」と聞いたら、知らないという。ダンレボの曲だと言うと、「へぇ〜」という感じ。
横で聞いていたもう一人の同僚が、「杜崎さん上手そうですよね、ダンレボ」と言ってきたので「ダンレボやったことないし、全然できないと思う」と答えたら爆笑していた。

小津夜景さんは『ロゴスと巻貝』でこんなことを言っていた。

面白い本に楽しませてもらっているうちはまだ甘い。読書の醍醐味は、自力で面白がる方法を極めるところにある。(中略)文学理論だってそう。あれは作品の面白がり方を開発してるのである。

小津夜景『ロゴスと巻貝』(アノニマ・スタジオ、2023)

難しくて放り出した本が、これまでにいくつあっただろう。
難しくなくても、つまらなかったり退屈だったりした本は、もう何百冊と放り出してきた。どこかへと放流してしまったそうした本たちを今からでも取り戻して、もう一度面白がってやれないだろうか。
ちなみに引用の一文は「『智恵子抄』の影と光」という章だが、その内容は以前に行われて今も youtubeに残っているスケザネさんとの対談の中でも語られている。

夜、唐突に、「どなたか好きな詩集を教えてくれませんか?」とXに投稿して眠ることにした。
Xをやめることにしたのだ。DMなどでしかやり取りをしていない人もいるので、段階的に、少しずつ、去ることにした。
「どなたか好きな詩集を教えてくれませんか?」
この言葉が最後の投稿ならいいかもしれない。そんなつもりで投稿した。

1.30 TUE (13℃/4℃) 教えてもらった詩集たち

通勤中、本を読みながら歩いていたら、エスカレーターが止まっていることに気づかず乗ってしまった。
足元が動いているつもりで踏み出したら地面が止まっていて、一瞬で本を顔の前から下げた。止まっているエスカレーターはなんとも不思議な歩き心地だった。

昨日の投稿に反応して、たくさんの方が詩集を教えてくれた。

峯澤典子『微熱期』、よしおかさくら『詩集 プチフール一丁目に住みたい』、石松佳『針葉樹林』、井戸川射子『する、されるユートピア』、朝吹亮二『ホロウボディ』、佐藤文香『渡す手』、詩人としては西條八十を教えてもらえた。
一冊ずつ読んでみることにした。『微熱期』は持っているので再読しよう。それほど詩に明るいわけではないけれど、一冊ずつ面白がり方を開発したい。

1.31 WED (14℃/2℃) ジャケットを着る用事

朝、ジャケットを紙袋に入れて出勤する。
私服出勤なので仕事でスーツを着る機会はないのだが、ここぞというときはジャケットを羽織るようにしている。
でも、ジャケットを着た上から羽織れるコートや上着を持っていなかったので、あえなく手持ちで。
家にあった紙袋が誰かがお土産でくれたものなのか、和菓子屋のようのものしかなかったので、なんだか手土産を持っている人のようになった。

そして、ジャケットを着る用事が先方のドタキャンにより消失。

2.1 THU (16℃/8℃) 塾をサボった記憶

朝、小学生くらいの子どもと親がいつもより多く電車に乗っていた。
そうか、中学受験か。
24年前、自分も中学受験をした。今思えば親の方が大変だっただろうに、よくやらせたなと思う。小4から進学塾に通わされていたので、実に3年もの間、電車で4駅も先の隣の区まで毎日通い、夜9時過ぎに帰ってくるという生活を送っていた。
日曜日も毎週試験があって、一日潰れた。
小5くらいの時、あまりにも日曜日の塾が嫌で、塾をサボったことがある。
塾に行ったふりをして、塾が終わる時間まで朝からずっと外を歩き続け、何食わぬ顔で帰ったら、待ち構えていた父にそれはもうめちゃくちゃに怒られた。
日曜日も塾でかわいそうだからと、帰りに本屋にでも連れて行ってやろうと思い、母が塾まで迎えに行ったらしい。

いやだなと思う環境にいる時、人間の脳は働き始める。
どうやってサボろうか、どうやって誰にもバレずに行おうか、自然に振る舞うには、辻褄はどうする、など、子どもながらにものすごく頭を使った。
親を出し抜こうとしたことにより、この日一気に成長した狡猾さが、今もたまに仕事中に現れる。
サラリーマンだなぁ。

そうそう、誕生日が近いです。

ハルキ文庫の『西條八十詩集』を手に入れたので、読んでいる。

2.2 FRI (7℃/3℃) 東京音頭、蘇州夜曲、壜

西條八十の作詞ということで、「東京音頭」が詩集に収録されていた。
初めて「東京音頭」の歌詞を読んだ。
そして「蘇州夜曲」の、自分の中で最も聴き慣れている〈髪に飾ろか、接吻しよか〉のフレーズが曲の3番だったことも初めて知る。

「壜」という詩が良かった。
父と伯父の23年忌が迫る中、自分も先に死んでいった親類たちと一列に連なった壜であることを思うという詩。残るは自分の壜だけ。いつまでここに立っているのか分からないけれど、せめて花を挿す、と閉じる。
僕も小さい頃に次々と祖父母を亡くした。
大人になるまで毎年法事があった。だからなのか、〈一列(ひとつら)の壜〉という気持ちはわかる気がした。

2.3 SAT (10℃/4℃) 詩集の一日

教えてもらった石松佳の詩集『針葉樹林』を開く。
「クォーター・サイレン・ハウスで三日間を過ごした」という詩の入りがすごかったので引用する。

たとえこの世に愛される窓と愛されぬ窓があり、愛されぬそれから注がれた陽光が手のひらの篩から振り落とされることがあったとしても、クォーター・サイレン・ハウスで過ごしたあの素晴らしい三日間を忘れることはないだろう。

石松佳『針葉樹林』(思潮社、2020)

午前中に読み終えて、午後から妻と外で待ち合わせ。
待ち合わせ場所に向かう道すがら、峯澤典子『微熱期』を再読。
前に読んだときは通勤の電車の中だった。今回は陽のあたる裏通りを歩きながら読んだ。

月詠をやらねば。

今週のアルバム

前向きなスイセン
鴨がまったりと泳いでいたよ
芽吹きそうな感じ
日が延びてきた気がするよ。17時半くらい
17時ちょい過ぎくらい。前日より早く帰れたので夕焼けはもう少しあと。
手土産スタイルジャケット
メタシル、知ってる?
「東京音頭」を作詞した人なんだ
会社帰りの暗い夜道で
金曜日って感じの飲み物だったなぁ

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