子どもを児童養護施設に預けて感じていること
はじめまして
私は宮崎県延岡市に住む30代の一市民です。
現在、一人で生活しています。数年前に離婚し、パートナーはいません。
子どもが一人いますが今は一緒に暮らしていません。彼は現在、児童養護施設に入所し、そこで生活しています。
彼がそこで暮らし始めて1ヶ月余り、私が彼と離れて暮らすようになって2ヶ月ほどが経ちました。今私が感じていることを、みなさんにお伝えしたいと思ってこの文章を書いています。
いま困っている人たちへ
私はひとり親です。それは後で少し詳しく書こうと思いますが、ひとり親を含め、いま困っている様々な方へ。
「周りに頼って大丈夫だよ。」
と伝えたくてこの文章を書いています。
伝える力量が、届ける力が足りないかもしれないけれど、いま私にできる精一杯で書いています。
困っている人たちとは、資源が足りない人たちのことばかりではないです。
たとえ裕福でも、社会的に多数派といわれる属性が大きい人でも、みんな苦しいときはいつでも、
「周りに頼って大丈夫だよ。」
と私は言い続けます。
特にずっと困ってきた方たちへ。
中には、これまでも何度も勇気を出して「頼ってみたけどダメだった。」と感じている方もいらっしゃるかと思います。
きっとたくさんいらっしゃると思います。私もそうでした。
怒りが、悲しみが、絶望が、溜まっていきますよね。
ギリギリのところで、もう自分を保てているのかすら分からなくなりますよね。
私の想像以上の方だってたくさんいらっしゃると思います。
それでも何度も、もう一度、もう一度だけ、頼ってみてほしいんです。
頼り方が上手じゃなくて大丈夫です。
泣いても大丈夫。
怒っても大丈夫。
当たり散らしても大丈夫。
私もそうでした。
だって当然だよ。
行き場のない怒りは、出そう。
あなたが一人でどうにかしなくていいです。
私はそれを受け止められる人でありたい。
未熟でいつもそうはできないことが多いけど、できないことばかりだけど、私の周りには同じ思いの人がたくさんいます。
私たちはあなたを必要としています。
あなたがあなたを大事にできることを私たちは願っています。
そのために私は私を大事にするね。
仲間たちとそういう社会を、地域をつくっていくから、安心して諦めず、何度でも頼ってください。
子どもを児童養護施設に預けて1ヶ月、いま感じていること
私の子どもは現在、児童養護施設で暮らしています。
みなさん、児童養護施設って知っていますか?
どんな場所だと思いますか。
私は知らなかったです。
児童相談所はどうですか。
どんなイメージがありますか。
児童相談所も児童養護施設も「頼れる場所だ。」と私は感じています。今はね。
困っている方々はぜひ頼ってほしい、とも思っています。
児童相談所も児童養護施設も、子どものために一時的に(か預けた時点では分からなかったけど)子どもを守ってもらうためにある場所なんだなって今は思っています。もちろん状況や事情によります。あくまで私の場合です。
施設でも行政でも、既成の組織や仕組みの中で、自分の疑問(問い)を放棄せず、大事に持ち続けて、苦悩・葛藤し、動き続けている方々がいらっしゃいます。
私よりずっと若くても、パンパンに張りつめたり切れてしまった親の気持ちを受け止めようと日々働いてくださっている方もいらっしゃいます。
その方たちのおかげで私は「いつかお子を迎えに行こう。」と思うことができるようになりました。心から感謝しています。
私はその人たちに敬意を表し、エールを送ると共に、励まされ、私は私の持ち場で日々できることをやろうと刺激をいただいています。
ありがとうございます。
児童養護施設入所が決まる前に考えていたこと
預ける前は、そうは思っていなかったです。
児童養護施設に対しても、児童相談所に対しても、ネガティブなイメージが先行していました。
だから私は施設入所という選択肢を提示されたときに、第三の選択肢をつくりたいと思いました。
端的にいうとシェアハウスです。
しかしそれを今すぐやる気力も財力もそのときの私にはなかった。今もそうです。
すでにあったとしても、そこで私たちがやっていけるかどうかも分からないです。
だから、自分ができないのであれば、信頼して施設にお任せすると決めました。
今はこの状況下で、面会もできません。
子どもと施設を信頼し、子どもが日々幸せであることを願って日々暮らしています。
ひとり親の現状について
ひとり親に限らず、物理的(経済的)・精神的に資源に余裕のない家庭は悲しいかな、たくさんあります。
その実情はなかなか表に出ません。
私は子どもを入所させる選択肢を提示されたとき、信頼する方にそのお話をしたら、その人が、
「私の想像力が足りていなかった。」
とおっしゃいました。
そんな風に言えるその方はすごい(心から尊敬しています。)のですが、私の方も、発信が足りていなかったのだと思います。
そして実際、そんな余裕はなかったです。
資源の足りない親の切実さ、いっぱいいっぱいだけど子を愛し、大事にしたい思いはおそらくみなさんの想像以上です。
どんな親御さんだってそうでしょう。
だって子どもは未来だから、子どもを好きでもそうじゃなくても、子どもはみんなの宝でしょ?
一人ひとりが、かけがえのない宝ですよね。
だから、私はそのときそのときの精一杯を一所懸命、お伝えしてきました。
具体的には、延岡市のこども家庭課、延岡児童相談所、児童養護施設みどり学園などです。
実際に頼ろうとして結果的に頼れなかったことは一度や二度じゃないし、その度に悲しみと怒りと絶望を感じ、それでも諦めずに再三、希望をお伝えしてきました。
決して上手な伝え方じゃないときもあったと思います。
それは様々な状況を抱えた個々の職員さんに対して申し訳なかったと感じています。
しかしそれでもその積み重ねで、ようやく、少し伝わったと感じている部分もあります。
何年かかったのか、分からないけど、具体的な一人の方が、その方の一言で、「伝わったんだな。」と感じて、うれしかったことがあります。
伝える側にも工夫が必要なんだ、と学ばせていただいた部分もあります。ありがとうございます。
一つ一つの積み重ね、できる範囲で今できることをやることがとても大事なのだと私は感じています。
終わりに
願わくば、子どもたちがみな等しく愛され、大事にされ、力を発揮できる地域にしたい。延岡をそういうまちにしたいと私は願っています。
そのためにはまず私たち大人自身が、自分を愛し、大事にし、力を発揮することだと感じています。
私にできることは限られていて、一番好きなことは書くことで、私が「私の」視点で発信することもきっと無駄ではないと信じて書きました。
上手にできたかは分からないけど、伝わることを信じて。
愛するお子と私たちの解が少しずつ見えてくることを願って。
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