Rainbow, Rainbow
また、すっかり間が空いてしまいました。
6月はプライド月間なので、月が変わる前にレインボーの話を。
hirakuのInstagramには、レインボーフラッグの絵文字と共に"Safe space for everyone(どなたでも安心して受けにきてください)"の一文を載せています。施術室の入り口にも、レインボーフラッグを掲げています。
セクシュアリティーやジェンダーだけでなく、いろいろな意味でクィアな感覚を抱えている人、どんな人でも、安心してセッションを受けに来てほしいという願いを込めてのことです。
レインボーを掲げようと決めたのは、去年の夏。
それまでは、クラニオというワークの性質上、誰にとっても安全なスペース、施術者であることはあたりまえという感覚もあって、言わなくても伝わるだろうと何となく思っていました。
それが変わったきっかけは、芸能人のryuchellさんが亡くなったことでした。
ほとんどテレビを見ないので、ryuchellさんの大ファンだったというわけでもないのだけれど、その時滞在していたシアトルで、訃報をネットニュースで読んだ時、自分でもびっくりするほどショックを受けたのです。
実家のテレビでたまに姿を見かけることはあったし、もちろん存在は知っていて。いつもカラフルで、優しそうで、かわいいなあとほっこりしていたし、いっとき騒がれていたパートナーのpecoさんとの離婚についての経緯も、二人の愛を感じて、素敵だなと応援していました。
そんな、かわいくて素敵な人が、周りに大切な人もたくさんいただろう人が、こんなに若くして自分で死を選ぶところまで追いつめられるような社会は何かがおかしい…と、それがとてもショックだったのです。
ホルモン治療の影響で精神が不安定になったのでは?という話もあったけれど、ホルモン治療を受けている人は世界にたくさんいて、安全だと感じられる環境でサポートがあれば、死を選ぶ可能性、実行までする可能性はずっと低いはず。やっぱり、自分の人生を自由に生きることを許そうとしなかった日本の社会、声高に主張され続けた「不特定多数の意見」が、ryuchellさんを殺したという気がします。
訃報を知ったその日、悲しい気持ちで、泊まっていた友人の家の近くのダウンタウンをふらふら歩きながら考えたのは、「じゃあ、私は何をしてるんだ?」でした。
ryuchellさんを死に追い込んだ日本の今の社会はひどい。そんなの、よくない。そう言って嘆く私は、その状況を変えるために何かしているだろうか? 何ができるのだろうか?
その時に、思ったのです。
もし、ryuchellさんが死を考えていた時に、レインボーをはっきりと載せているボディーワークやセラピーのページをソーシャルメディアで見かけていたら? わざわざ探さなくても、街の中で自然にレインボーの旗を堂々と掲げる店を見かけていたら?
それだけじゃ、何も変わらなかったかもしれないけれど。でも、もしかしたら、手を伸ばし、必要なサポートを得ることができたかもしれない。そうでなくても、ひとりじゃないと、世界には安全な場所もあるのだと、感じられたかもしれない。
それは、私自身が、久しぶりにだいぶ長い時間を北米に滞在して、感じていたことでもありました。
友人のいるシンシナティに到着したのが、ちょうど6月のプライド月間。
そこからほぼ2ヶ月、北米の友人を訪ねてまわっていたのですが、滞在したのがリベラルな都市ばかりだったこともあって、どこに行っても、街中はレインボーだらけ。本屋に行っても、カフェに行っても、大学のキャンパスでも、NYのロックフェラーセンターの前も、レインボー。
いろいろなパターンのカラフルなレインボーに囲まれていると、何だか嬉しくて気持ちが明るくなってくる。それだけじゃなく、体が緩んでくる、呼吸が深くなる。安全な気持ちになることに気がついたのです。
私は子どもの頃から、日本にいても日本のメインストリームの文化にはしっくり馴染まないし、セクシュアリティーやジェンダーにおいてもこだわりがなく、こだわりがないから特に主張はしなかったけれど、無条件で「ストレートでシスジェンダーの女性」として扱われるのは息苦しいという感じで、ずっと「属していない」感覚をどこかに持って生きてきたところがあります。
だから、「クィア」という言葉(個人的に、「『属していないこと』に属している」という意味だと思っています)をアメリカで初めて知った時は、とてもしっくりくるところがありました。
アメリカに住んでいた時は、それに加えて、アジア人で英語もネイティブじゃないこともあり、自分はマイノリティーだなあとしみじみ感じることも多かったのですが、住んでいたのがカリフォルニアの海沿いのリベラルな街ばかりだったので、レインボーが店先や家の庭にもちらほらと飾られていて、それを見るたびに、やっぱり何となくほっとしたのを覚えています。
レインボーのある地域に住む人全員が偏見がないとか差別をしないわけではもちろんないし、レインボーを掲げるコミュニティーのなかでも別のタイプの差別や偏見があったり、そうやって見ていったらキリがないんだけれど、それでも、レインボーが多い街はマイノリティーに優しい街であるような気がします。
それは、レインボーが、誰もがそのままの自分として存在していい、自分自身や自分の愛を表現することで命や身の危険を感じなくていい、少なくともそういう世界にしたいと望む人が多い場所だということを表しているからなのだと思います。
そんな環境で20代の半分以上を過ごしたあとに日本に帰国して、いつの間にかレインボーを滅多に見ないことにもすっかり慣れてしまっていたけれど、自分の中にある感覚とは違う「社会一般」の通念や、無条件に期待される社会的規範は、やっぱりどこかでストレスになっていたし、心から安全に感じられる環境ではなかったのだなあと、久しぶりに北米に戻ってきて、レインボーだらけの街を歩いて、実感していたところでした。
それで、決めたのです。
レインボーを掲げよう、と。
ryuchellさんはもう死んでしまったけれど。hirakuのインスタも、あんまり活動していないし、プラットフォームとしての力はほとんどないようなものだけれど。
それでも、このインターネットの小さな片隅に、ひっそりとでもレインボーを掲げていたら、もしかして、本当にもしかして、その時に必要としている誰かの目に留まるかもしれない。ひとりじゃないよ、と、伝えられるかもしれない。だったら、掲げないよりは、掲げた方がいい。だって、どうやら世界はまだ「言わなくても伝わる」わけではなさそうだから。
そう思ったのです。
レインボーを飾ろうと決めた数日後に訪れた、ここもまだプライドの余韻が残るバンクーバー。早速、泊まっていたビーチの近くのデイビー通りで、レインボーフラッグやステッカーをいろいろ買ってきました。
「ステッカーをたくさん買うんだね」と声をかけてくれた初老の店長と少し立ち話になって、「最近、日本で、まだとても若いクィアな子が死んでしまったんだよ」と話していたら、涙が出そうになって。
カナダでも、きっといろいろな差別や偏見を経験してきたのだろう店長は、じっと私を見つめて話を聞いてくれたあと、「この間も、日本から来た人がたくさんいろいろ買って行ったよ。日本はまだまだだからって言っていた」と、うなずいて、「今度はプライドのお祭り中においで。すごいから」と、言ってくれました。
カリフォルニアのプライドも結構な大騒ぎだったから、バンクーバーもきっと、すごいんだろうなあ。いつか、お祭り騒ぎに参加しに行きたいと思います。
ちなみに、この経緯をアメリカ人の友人に話していたら、「レインボーを掲げることで身の危険があったり、ビジネスに支障があったりする可能性はないの?」と聞かれました。(アメリカらしい質問、だと思う。)
日本はアメリカに比べて暴力的な方向性でのヘイトの反応は少ないから大丈夫だと思うし、そもそもこぢんまりとやっている施術だから、支障は特になさそうだよ、と、答えたのですが、それでも確かに、決断するまで、本当にわずかだけれど恐怖を感じたのは事実。
何かに対して立場をはっきりと表明することは、それによってジャッジされたり、偏見や思い込みを向けられるリスクを負うことでもあるからです。
とはいえ、もしも、レインボーを見て嫌な感情を持ったり、セッションを受けるのをやめようという人がいたら、そもそも、その方がお互いにとって良いはずだし、レインボーを見ていいなと感じる人が来てくれたらその方が嬉しいので、どちらかといえばメリットの方が大きいかなと思っています。
本当に小さなアクションでしかないし、何かしたいという気持ちを満たすだけの自己満足かもしれないけれど、セッションルームの入り口の小さなレインボーフラッグを見る時、少し、心がほっとして嬉しい気持ちになります。
来てくれる人たち、窓の外を通りかかっただけの人たちの中にも、そんな気持ちになる人がいたらいいな、と願いながら。いつか、レインボーなんてまったく必要がなくなる時まで、誰もが自由に生きることがあたりまえになるまで、世界の片隅で、小さなレインボーを掲げていたいと思います。