とあることばの話
このnoteは、松浦年男先生が企画されたアドベントカレンダー 2024「言語学な人々(別館)」の 24日目の記事として書かれたものです。
この5月から,新しく調査に通い始めたところがあります。
岐阜県揖斐郡揖斐川町。岐阜駅まで電車で出て,そこからレンタカーで1時間程度のところです。
ただ,調査をしているのはその土地で伝統的に使われていたことばではありません。今はもうない,ある村から移住してきた人たちの話すことばが,私が,今向き合っていることばです。
旧徳山村というところ
その村とは,旧徳山村という村。
揖斐郡の揖斐川上流にあった村ですが,現在はもうありません。徳山ダムというダム建設の決定に伴い,1980年代後半から離村が始まり,2000年ごろには概ね人はいなくなっていたようです。実際にダムが完成したのは2008年。
そこでの調査を始めた時の話については,以下にまとめました。
戸入という集落のことば
旧徳山村は,8つの集落に分かれていたそうで,その中でも,私が現在調査をしているのは,戸入(とにゅう)という集落のことばです。
村内のことばのバリエーションは非常に豊かであったようで,アクセントの面から言えば,村内には所謂京阪式的なアクセントのことばを使う人々の集まる集落と,東京式的なアクセントのことばを使う人々の集まる集落とがあったようです。戸入は,その中で後者にグループ分けされます(というか,戸入だけが後者だったかしら)。
徳山村の中でも,戸入のことばに関する先行研究はいくらかあり,いくつか重要な指摘がされています。
1つは,有声促音の存在。
「呼んだ」を「ヨッダ」,「蛇」を「ヘッビ」などのように発音します。日本語の場合,多くの変種で,外来語などを除けば,促音は無声子音を伴う音節の前にしか出ないのですが,この方言ではそれが広く観察されます。一部の研究では,その有声促音とされるものの一部は,入破音であるという指摘もあります。この辺りは慎重に調査をして行きたいところです。
2つ目は,「くぼみ式」と呼ばれる,2山のピッチ変動が見られるアクセントの特徴です。日本語の場合,共通語など多くの変種では,1つの語あるいは文節の中で,一旦ピッチが下がった後にもう一度ピッチが上がる,ということは,通常ありません。それが,戸入のことばでは広く観察されます。
3つ目は,1人称・2人称代名詞において「二人であること」を積極的に示す双数形と呼ばれる形式の存在が指摘されていることです。双数形と言えば,琉球列島のことばですが,本土にもあるということがわかっています。
否応なく消滅を迎えることば
すでに申し上げたとおり,戸入を含む徳山村は,名実ともに,今はなく,そこに住んでいた人々は,離散して暮らしています。
ある程度同じ集落に住んでいた人たちがまとまって暮らしているようですが,基本的にはどの家が徳山からいらっしゃた家なのかは,見た目ではわからないと思います。
私がお世話になっている戸入出身の方も,すでに70歳代後半になりますが,普段はほとんど戸入のことばを使うことがないそうです。まわりに,戸入ご出身の方が多くはいないことが要因だそうで,私とも,調査時以外は,地域共通語と思われることばで話してくださいます。
そして,その方の世代がギリギリ,言語形成期の大半を戸入で暮らした世代のようです。その方いわく,より下の世代になると,戸入のことばを日常的に使うという経験がほとんどないようです。
既に,戸入のことばを使うコミュニティは崩壊しています。それはつまり,戸入のことばが継承される社会的基盤がすでにないということを意味します。つまり,戸入のことばは「消滅の危機にある言語」ではなく,「消滅を運命付けられている言語」と言っていいのではないかと思います。もちろん,その言語を使う人々の存在を思えば,そう言ってしまうことに,抵抗はありますが。
ことばを記録する意味を考える
調査を始めた当初の目的は,戸入のことばの言語体系を記述して,色々な言語学的な研究をすることにありました。今でも,その目的自体は変わっていません。
しかし,それとともに,戸入のことばを話せるようになることと,可能な限り正確に記述をして,その言語があったことを記録しておくことを目指したいと思っています。
ことばは,アイデンティティだ,ということをよく言いますが,實際,既に自分たちの住んでいた場所を失った徳山の人々にとっては,自分たちがそこに住んでいた,今住んでいるところとは異なるところの人間であったことを示すのは,まさに,自分たちの使う「ことば」であるわけです。そういう意味では,ことばを記録するとは,その人たちがそこにいたことを証明する手段であり,まさに,その人たちにとっての生きた証,アイデンティティと言えるかもしれません。
継承のためではなく,記録のために。ただ,その記録は言語の記録というよりは,言語の記録を手段とした,人々が生きた証の記録として。
ことばを記録する意味について考えた1年でした。