あなたのその優しさ、無理してませんか?
ある日、バナナが大好きな旅行者が貧しい国を歩いていると道端にたくさんの物乞いがいました。
その物乞いに施しをしようとその旅行者は持っていた大好きなバナナを差出します。
いつも3本食べれば満腹になって満足する旅行者ですが、物乞いに同情し少しでも多く与えてやろうと自分は2本で我慢をし、残りの3本を施しました。
しかしその物乞いはバナナが大嫌いで、礼の一つも言わずに旅行者の目の前で地べたにバナナを捨てたのです。
この話は泉谷閑示さんの 『「普通がいい」という病』の本の中で出てくる五本のバナナという話ですが、あなたがもし旅行者の立場ならきっと
「なんてひどいことをするんだ!!!!」
と怒り心頭するのではないでしょうか?
私ならまあ、怒って暴れると思います(笑)
この話の中で大事なのは、「自分は我慢して相手に多めに与えた」ことが怒りスイッチの原因となっているというところです。
いつもなら3本食べれば満腹になれるのだから、自分で3本食べて余った2本を物乞いに与えていたらどうでしょうか?
どうせ明日になったら傷んで食べれなくなっていただけだし好きにしていいよとならないでしょうか?
たったバナナ1本の差が、愛のある行動か欲望の行動かを分けているのです。
余ったものを与えることが「愛」
相手から感謝されたい、見返りがほしいと思い与えることが「欲望」
どちらも与えるという行為自体は同じですが、欲望を持って人に与える時は相手からの見返りがなかったり感謝されなかったりすると逆上し、相手に恨みを持ってしまう場合があります。
これが良くない結果であることは誰の目にも明白です。
この話から学べることは
「人に与えることはとても大事だが、まず第一に自分を満たしてあげよう」
ということです。
自分自信が幸せや満足感に満ちた状態で余った分を人に与えることが本当の愛のある行動です。いつだって自分が一番でいいんです。誰かに遠慮する必要もありません。
自分を一番に思って大事にしてあげた結果、あなたの周りの人たちにも自然と愛がまん延していくのです。
普段から私のブログでは「許しましょう」とか「与えましょう」などとお伝えしていますが、まずはあなた自身の幸せをあなたが考えてあげてください。そこから溢れた分はぜひあなたの周りの人たちに惜しげもなく与えていってくださいね。
あなたはバナナを3本ともしっかり食べていいんですよ。