堰き止められていた福運を、一気に放出させる方法
「愚痴は福運を消す」
何度その指導を読んだことだろう。なるべく言わないように、言わないように、全て受けきる。そうすればするほど心の中が苦しいモヤでいっぱいになって行く。
「学会活動しても、何も良いことが無い」
そう思う人のために、私の実体験から「福運が出る仕組み」をお伝えしたい。
多くの学会員に話を聞いてきたが、学会活動がおもんなくなる理由は、人間関係か、活動がツラいからだ。活動のツラさが人間関係の問題を引き起こしている場面も散見される。つまり「やりたくないこと」を強要される、または強要しなければならない立場に置かれるからだ。
「修行には、ツラさや苦しさがつきもの」との考えもあるだろう。その通りだ。
ただし、それは歓喜と対になっていなければならない。歓喜としんどさの両輪だから、人生は前に進むし、生命の燃焼感もある。
活動に追われるツラさが歓喜と対になっていれば、学会活動はおもんなくならない。みんな「ポジティブなドM」となり嬉々として活動するだろう。
活動が歓喜を失うと幹部は「ネガティブなドS」となり、「ノーマル」なメンバーは、幹部の特殊な性癖にどんどん引いていく。みんな引いていくのが分かっているのに「ドS」を演じていなければならないのが圏から県幹部(の正役職)だ。
最近では、「ドS」を演じるのを辞めてしまって、総県、方面幹部からの指導を甘受し、自分が緩衝材となって下のメンバーを守ろうとする圏幹部が多い。
「優しい人」たちは、人に強要するよりも、自分が強要されて耐える方が、気が楽なのだ。
かく言う私自身、ゴリゴリ結果を求められて、重圧にあえいだ経験がある。学会活動で、もっともプレッシャーを感じたのは、関西本部運営創価班に志願したときだった。
「関文に上がる1年間で、死んでも本流を決めろ」という指導性だ。私には絶対に本流を決められる自信があった。ただ、面接がめっちゃ怖かった。
六畳くらいの個室。目の前に2人の総県幹部。志願者は3人一組で面接を受ける。
関文に上がる決意を述べると「おう、ほんなら関文の階段、全部で何段あるか、どこに消火器があるか言うてみ」と予想外のことを聞かれる。
こういうこと聞かれるのは、事前に聞いて知っているし、穴が空くほど着任マニュアルを読み込んで、受験ノイローゼになるくらい勉強してから臨んでいるが、本番になると頭が真っ白になることもある。それくらいのプレッシャーなのだ。
間違えると、アウトレイジビヨンドの西田敏行よろしく「ハァン? おまえ、嘗めてんのかコラァァアアアァッァ!」と怒号が飛ぶ。ベニヤ張りの天板が跳ね上がるんちゃうかというくらいバンバン、トレニアをたたく。
過去には、面接中に気絶(これは面接官側にとって事故)してしまった志願者もいるという。近年はかなりソフトになってはいるが、通常の社会では絶対に味わえない程度にはキッチリ追い込まれる。
面接で、私は3人中、3番目だった。
「で、君はこの関文の1年で、何を決意しているの?」
キレていない時は、まあまあ優しい言い方だ。これにより、キレたときとの落差が演出される。
前の2人は「本流1世帯、決めます」と殊勝な決意を述べていた。それに「一年間絶対無事故」とか「社会で実証」とかをトッピング。そして「できるんか?」「できます」と、予定調和の応酬をしていた。やがて私の番が来た。
「本流12世帯、決めます」
私は爽やかに言い放った。総県幹部の瞳孔が開き、顔色が、青白くなった。
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