〈あとがき〉と見せかけた〈なかがき〉
この本を構想しはじめたのは3年ほど前でした。2年前から執筆を開始し、一冊分になるくらいの文量を書きためたのですが、どうしても自分の書きたいことが書き切れず、挫折しました。勇気と根気(特に勇気)がなかったのです。
その原稿をすべて捨てて、今回、ゼロから書き直し、まとめて書き切られたのは、ひとえにWEBでの連載という形をとれたからです。
そして何より、少ないながらも、熱烈に支持してくださる読者の声があったからです。私のつたない文章を必要としてくださる方に支えられて書けました。
感想を短文メッセージで送ってくれる人、長文で数回に分けて激励も交えた所感を送ってくださる人、さまざまですが、とにかく皆さんご自分の体験と重ね合わせて言葉を綴られていました。多大な力と着想をいただき、本当に感謝しています。
面白いのは、感想を送ってくださる方、全員がWEBには書き込まず、直接、私に送ってこられることです。それだけデリケートなテーマを扱っているのだと改めて実感させてもらいました。
私自身、「ヒラ会員の身で大それたことを書いているな」と思います。
自分の書いた内容にビビりながら、「でもこれが本当のことだし、いま必要なことだ」と思い切って、書き続けました。
そうするうちに、少しずつ「正しいことを書かねばならない」という力みがとれて、「人の役に立つ内容に集中しよう」と考えられるようになりました。
私が書いた内容は、積み重ねた取材と考察の末に私自身が確信していることですが、これがすべての学会員さんにとって正しいと思っているわけでもありません。
こう書いてしまうと無責任に聞こえるかもしれませんが、「間違っていても文句を言わないでくれ」というのではなく、みんなが自分の身の上での感じ方で、自由に価値創造してもらいたいとの意味で申し上げています。
「動執生疑」という言葉があります。池田先生は、これを「それまでの小さな法に執着した心を揺さぶり、より大きな価値観へ目を開かせる説法」と言われました。
目の前の慣れ親しんだ違和感を見過ごすことなく、より大きな価値を見いだすヒントとして活用する。そんな明るい力強さが学会の未来に必要だと私は考えます。
私たちは広宣流布のために、地より涌き出た菩薩です。学会活動は、広宣流布のひとつの様態です。
池田先生の偉大さは、「近代広宣流布の基本形」として学会活動を確立してくださったことです。これからは、この基本形から無限に広宣流布のスタイルを発展させていく時代です。
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