頭の中のおしゃべりが幸せへを呼ぶ
僕らの脳は検索エンジンと同じで、頭の中で何かを呟けば脳はその答えを探し始めます。
例えば「どうして私ってダメなんだろう」と思えばダメな理由を脳は探し始めます。
そして毎回そんなことを思っていたら、やがてダメな部分しか見えなくなっていきます。
反対に「ツイてる」や「得したな」と思って生きていると、脳がラッキーなことを探し始めます。
全然そうじゃない状況だとしてもなんとなく呟いてみると、脳は「この人はなぜ得したと思っているのだろう」と理由を探し始めるのです。
そうすると今度はラッキーなことを脳が起こし始めます。これが始まるとどんなことが起こっても、今起こっていることは更なるラッキーへの布石と思えるようになってくるのです。
こうやってラッキーが当たり前になった時には「わたしにはラッキーなことしか起こらない」というマインドセットが完了します。
これが脳の仕組みです。
面接で、あなたは運が良い方ですか?と聞くと「う~ん。どうですかね~」と人生を振り返りはじめる人がほとんどです。
即答で「はい!私は最高に運が良いです!」と答える人には今まで会ったことがありません。
これって正常な感覚だと思うんですよ。
きっと「私にはラッキーなことしか起こらない」と分かっている人って幸せな人です。
ただね、同時に「無理やりラッキーだと思い込むな!」とも言いたいんですね。
最終的に自分にとって良いことしか起こらないと分かっていることと、本当は苦しい癖にそれを見ないふりすることは全然違うということです。
この辺りがタオなんですね。
タオの視点で覚醒を語る時によく蛇が用いられますが、蛇とは脱皮するものです。
覚醒とはあらゆる考えや理論からも脱皮するのです。進化と脱皮は同義で、進化の象徴が蛇なのです。
さて、ラッキーについて書いてきましたが、運というは、「種まき期」と「収穫期」があることの言い換えです。
運が良ければそれは収穫の時期です。反対に運が悪ければそれは種まきや育成の時期ということです。
種まきというのは「問題と感じる心」のことで、収穫というのは「気づき」のことです。
気づきが起こると問題を問題と感じなくなります。
本当は問題でないことを問題のように感じてしまうその心の状態に気づいた時こそが種まき期のはじまりなのです。
いつかかならず収穫の時が訪れることを分かっていれば、今は心を育てる期間なのだなと分かるはずです。
そして収穫の時にこれが終わればまた種を撒く時がやってくるのだなと思ったら慢心しないということです。
人の世を生きていれば辛い時が来てもそれを味わえるような時もあれば、乗り切るので必死で何も考えられない時もあります。
そしてそのどの瞬間も素敵なことです。だから「私に起こっていることは全てかけがえのないこと」と思えたりもするのですね。渦中の時は思えないのはそれはそれでまた良しなのです。
今回はこの辺で、ではまた!