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幸せな人生を送るためにすること

テストで良い点数を採ることと幸せな人生を送ることはイコールではない。

「もっと頑張らないと」
「頑張って技術を磨かないと」
「この資格がないと認められない」
「これさえやっとけば大丈夫」

こんな思考に陥って日常に追われて苦しい時は、学生の頃の考え方をそのまま社会人になっても適用していることが原因だったりする。

もちろんテストで良い点を取ることが目的な場合はそれで良いだが、大人になって自分の人生を自分で創っていくとなったら、いささか苦しい時もあるのではないだろうか。

この思考の元になっているのは「足りない」という発想だと思う。

「良い大学に入って、大企業に就職、安定した人生を送るために勉強しなさい」

「相手チームに勝つためには今のやり方のままではダメだ!もっと練習しろ!」

こういった価値観を土台に学生時代の教育プログラムがうまく機能すると、「今の自分では足りない」、「まだまだこんなものではない」、「私はもっとできる」、「こんなの私じゃない」、「時間さえあれば私だって」みたいな発想ができあがっていく。

「自分は“足りない”」

これを前提で物事を進めていくと必ず苦しくなる。

自分に備わっているもの。
親、生まれた環境、自分の容姿、持っている能力。

与えられたものに文句を言いだしたら物事は何も進まなくなる。
そして、現状の自分を否定したら苦しみへ突入する。

まずは「現状を受け入れる」こと。

その上で、「今の状態が完璧だとしたら私はわたしのどこが好きだろう」と発想を内側に向けること。自分が好きな自分の能力を伸ばしてあげる方向にシフトすることが大事なのだ。

これは成長していくことを否定しているのではなくて、どの想いからスタートするかで実る果実も変わってくるということを言いたいのだ。

「足りない」という発想の影には「不安」や「心配」が潜んでいる。その種からは「不安」と「心配」を満足させる実はならないのだ。そして果実は私たちに劣等感を植え付けてしまう。劣等感や対抗心からはじまることは必ず最後に壁にぶつかる。広がっていかないのだ。

だから私たちは「満足」や「安心」から始まる種を育てていく必要がある。
その時に「私はわたしをどう扱ってあげたら喜ぶのか」という視点が重要になる。

この問いを頭に思い浮かべたときに最初に思い浮かぶことが、「本当はやった方が良いのは分かっているけどやれていないこと」なのだ。

私だったら、よく噛んで食べて胃の負担を減らしてあげたら身体は喜ぶだろうなということを知っているのだけどやれていない。

こういった簡単なことだけど「つい」、「うっかり」みたいなことに丁寧に取り組むことの方が幸福度は上がっていく。

一番簡単で取り組みやすいところから始めていくことで幸せな人生に確実に近づくことができる。

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