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今この瞬間に全てを捨てられるか
わたしにはチャネリングを教わった師匠がいるのだが、この師匠に教わったことの中で強烈に覚えている言葉がいくつかある。
その中の一つに、「今この瞬間に全てを捨てられるか」という言葉がある。
その当時の私は自分のことを結構捨てられるタイプと思っていたが、最近になって捨てるのが得意なものと苦手なものがあるということに気付いた。
私の場合「情」とか、「メリット」は意外とすんなりと捨てられる。この辺は家族がいたりすると結構苦労するだろうと思うのだけど、私はここは思い切りよくエイヤ―っと捨てられる。
「な~んだみんなが手こずるものでも捨てられんじゃん!」とイイ気になっていたのだけど、本当に捨てられないものは自分で気づかないから中々悲惨だ。執着は仕事のトラブルや人間関係の中でふと湧いてくるものだったりする。
なんかムカつく、許せないと思った時、「今この瞬間その怒りを捨てられるか」とふと自分に問うてみよう。この時にまだ怒っていたい自分がいるのならそれはきっと執着だ。
これは人によっては「さみしさ」だったり、「悲しみ」だったり変わるのかもしれないが、なんだか分からないがまだその感情をまだしがんでいたいような気になる時は執着と言って良いだろう。
執着は綺麗さっぱり捨ててしまえばその後どんなに楽だろうと思うのだが、中々捨てられないのも特徴だ。
そして、もう一つ師匠の言葉で強烈に印象に残っているのが「例え甲冑を着ていたとしても幸せを感じられるか」という言葉がある。
この言葉には前段があって、「オーガニックコットンに包まれて幸せなのは当たり前、キミが目指すところはそういうところではないでしょ。悟りとは、例え甲冑を着ていたとしても幸せを感じられるかということ」という前置きがある。
全ては意識の転換なのだ。
こんな冷たくて、ゴツゴツして不自由で痛いものの中に一生閉じ込められて生きるのかと思ったらそれまでで、今この瞬間に全て在るのだから、必ずどちらにも可能性の扉は開いている。
ある意味車だってそう。こんな狭い中に長時間閉じ込められるのかと思ったら本当につまらなくなってしまうけれど、これがもし旅だとしたらそうじゃないかもしれない。
仕事場も同じかもしれないし、家族もそうかもしれない。
捨てるのが簡単なモノ、囲まれたら嫌なモノ。いつまでも一緒にいたいところ、手離したくないこと。
みんな何かしらある。それはそれで良いけれど、私たちはある意味で決まったシナリオを生きているともいえるから上手くいくことだらけでは当然ないし、時には甲冑と思える時間も空間もあると思う。
でも、そこをどう生きるかというのは本当に意識なんだよ。
得意なことと苦手なこと、その両方をみつめていこう。