2024夏一首評05

ある日 地元で暮らした日々のほうが短くなる日が来る その日に
/鈴木ちはね「東京」

「現代短歌」104号(2024年9月号)

 この歌ってとりあえずけっこう素直に、たとえば18歳まで地元で暮らしてから別の土地に行ってそのまま地元じゃないの土地で次の18年と1日を経れば「地元で暮らした日々のほうが短くなる」っていう話、話としてはそういう話、として受け取っちゃうし実際そうなんだけど、そこじゃない、感じがすごくある。

「日々」が「短くなる」ことってないんじゃないかと思ったんですよね。その毎日っていう概念を指す言葉であって、時の長さを指す言葉では厳密にはない(はず)。だけどこの短歌を読んで、さっきのような【話】を了解できない読者ってたぶんいないんですよね。だし、例えばここが「地元で暮らした時間」とかだったらと思うと、正しい正しくない以前に、ぜんぜん違う、わけです。
 この「違う」っていう感覚を言いかえると、すごく立体的だなと思ったんです、この「日々」っていう表現が。「時間」は直線だけど、そこに一日一日の何かしらがいわば縦軸と奥行き軸になって、立体になる。みたいなイメージで。

 形成され続ける立体の、一つの軸のある点を境にして、それ以前の長さとそれ以降の長さを比較すると以前のやつのほうが相対的に短くなるっていう話をしているわけです。合ってますかこれ??
 その状態になる「その日」。「その日に」何なのか。この歌は言いさして終わります。なんなんでしょうね。なんにもないと思うんですけど。それ自体は取り立てて良いわけでも悪いわけでもない、だけどなんだか感慨があったりするのはわかる、そのポイント。来ない人には来ないし来る人には来るけど気付かない人は気付かないような、そんなポイント。
 普遍的なそういう【話】であるようでいて、この「日々」という言葉の向こうに他でもない【このひと】が、居る。

わたしの夢はすでに叶っているのだとときどき思う 泣きそうになる
/鈴木ちはね「東京」

「現代短歌」104号(2024年9月号)

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