2024夏一首評17

向いている気がする だけどダンクシュートは百年以内にできるんだろか
/井口寿則「浮遊している」

「現代短歌」102号(2024年5月号)

(初出は別であるはずなんですが、今ちょっと見つけられなかったので、ひとまず……)

 何層か、メタな感じの話になりそうなんだけど、今「向いている気がする」のスタンスで話し始めてくれるひとがいる、のはすごくうれしい……。というのがあります。僕がそうだから、で言うけど、ひとって気を抜くと「向いていなさ」で勝負を始めようとする、ところがあるから……。

 あくまでこの歌の最終的なスタンスは「百年以内にできるんだろか」で、実はあんまり自信に溢れているわけではないですよね。この歌から受け取れる、さっき言ったようなうれしさって、自信があるところから、じゃなくて、とりあえず「向いている気がする」と考え始めてみるところから発生しているんだと思うんですね。なんか、一般的なメンタル啓発っぽい話になっていきそうでアレだけど。ともかくこの話し始め方、はうれしい。

 バスケットボールの話だろう、という考え方の前提はありつつ、この「向いている気がする」はもっと広く、いろんなものへの「気がする」な気がする。いろんなものを経て「ダンクシュート」を言い出してるっぽい感じがするというか。一字空けの間の時間やその経過をどれくらいだと思うか、が読者にゆだねられるときに、この歌がナチュラルに「百年」という語を用いていることは感覚を揺さぶってくる、と思う。

 思考の指向性もスケールも、まばゆい。このまばゆさが、いまいちばん、底抜けにうれしい。

髪の毛をグリーンハイライトに染めた僕の最近調子がいいや

スナフキン・ハート 浮遊している僕が喋って誰かが笑った記憶だけある
/井口寿則「浮遊している」

「現代短歌」102号(2024年5月号)

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