水島さんの交換日記#147「将来の夢で辿る自分史」
どうもこんにちは。
水島ひらいちの八重です。
前回の記事はこちら。
手作り石鹸ええよな。俺も前の仕事の関係で、石鹸に添加物が入っとるかどうかっていうのはめっちゃチェックしとる。一昨年に淡路島に旅行に行った時に石けん素地から石鹸を作ったんじゃけど、かれこれ半年は長持ちしとるわ。
何故か書いた文面だけは正確に思い出せるのがこういう「子供の頃の夢」。
せっかくじゃけん、過去の自分を分析しながら、現在の職業にたどり着いていこうと思う。
※一言断っておくと、実際にその職業の人を腐しているわけではありません。
<将来の夢で辿る自分史>
幼稚園児のわたしの夢
…幼稚園っていう小さいコミュニティの中では、遊びが上手な人が男女からモテとった。そこでサッカーは絶対的なチカラの象徴で、それを得たいっていう強い願望が表れた結果がサッカー選手だった。
小学生の時の夢
…これは飛行機をよく見とった子供ならではの視点。
大空を自由に飛び回れるのってカッコええなーって思って書いたんじゃろうけど、パイロットが空路を自由に飛べるわけねえし。ハイ論破。
今では空を見上げる機会が少のぉなったなあっていうのを書きながら思う。笑
中学生の時の夢
…あー。完全に病ですねこれは。
おそらく世間の職業なんて全部クソくらえな自分の中のimplosion(内破)があって、全世界に向けた反抗期の気概を感じる。恥ずかしい。
ちょうど『13歳のハローワーク』を読んで、自分が本当になりたいものについて自問した時期でもあるはず。
高校生の時の夢
…当時は翻訳家という職業の素晴らしさは分かっていたものの、翻訳家人口に対してそこで食い扶持を得ている人口の少なさには目が行かんかったんじゃろうな。一流で活躍されとる皆さんは本当に素晴らしいけど、今やクラウドソーシングで副業としてやっていらっしゃる方もおって、そういった方も素晴らしい。
翻訳家一本でやっていくっていうことは相当な覚悟になったろうけど、俺は大学に入って翻訳家の夢を秒速で諦めてしまうことになる。上記の現実を知らされてしまったから。
でも、外国語大学に入学するきっかけになったのは、翻訳家になりたいっていう夢あってのことじゃけん、ここがマイルストーンではある。
大学卒業
…大学院を落ちた俺は、仮面浪人するほどの気力がなかった。ここで一旦人生の挫折を味わうことになる俺は、夢もへちまもなく将来を「 」で見ることしか出来ない。
一言でいうと、挫折。
…紆余曲折あり、大学卒業と同時にフリーターになって、なんやかんやあって現職がネットワークエンジニア。経歴を書こうとしたら何一つプロフェッショナルにはなってねぇけど、堀江貴文さんの言い分によると経歴があればあるほど掛け合わせて強くなれるけん、あんまり気にせんことにした。
キャリア(年数)が知識の量になるわけじゃねぇし、学びとか経験をどれだけ積めるかなんよな。
(でも、薄っぺらい人生って言われるのは御免じゃけん今の仕事はしっかりやっていくつもり…笑)
<次回のお題>
昔って焼き肉好きに食べていいって言われたら
カルビ・ライス大・カルビ・ホルモン・カルビ・ライス大…
っていう蛮族みてえな注文だったと思うんよ。
でもお互い30年の歳月をかけて文化とか教養を得て、黄金ルーティンは出来てきたかなと思うけん発表してや。
そもそも歳を重ねて胃の容量が小さくなったり脂を分解しにくくなったりあるし、あと「好きに食べていい」って言われても色々考えるようになったよな。次の日のこととかお金のこととか。
\こっちも見られーよー/
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