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水島さんの交換日記① 「岡山で生まれて」

どうもこんにちは。八重です。

水島ひらいちは二人で構成されております。

そして、その二人のうち二人は岡山県出身ということで、これは奇跡と呼べるに相応しい現象でしょう。

未だに、二人で会話する際には顕著に岡山弁が出てしまいます。というか、日常でも普通に岡山弁が出ています。私の場合、神戸という見知らぬ土地に放たれて早10年。一体何を吸収して何をやってきているのでしょうか。

ワタクシ八重は、とある理由があって岡山弁に固執しているのです。



--(ここで暗転し、過去の回想に移ります)--

それは私がまだ初心(うぶ)な大学1年のこと。
夢や希望を両手いっぱいに携えて入学し、未だ見果てぬ進路に憧憬を抱いていた私には、母校から友人が一人同じ大学に入学しておりました。

彼は高校での部活も同じ、大学の学科も同じということで、知らない土地での暮らしの心強い存在でした。

とはいえお互いの趣味趣向の違いもあり、大学での部活やサークル、交友関係は徐々に変遷していきました。

そんな夏真っ盛りのある日。彼から一本の電話がかかりました。

当時はバイトもせず、親の仕送りを頼りに生活していた素寒貧の私にとって「実家への帰省」というのは生命線のようなものでした。生活に係る費用を全て負担してくれて、三食きちんとお腹いっぱい頂けて、さらに再び一人暮らしに戻る際には「足しにしてよ」と幾万円を懐に忍ばせてくれる。
そんな確変イベントを、今か今かと指折り数えておりました。

というのが、当時大阪に住まわれていたその友人の御令兄様が、私と友人を岡山まで運んでくださるというのです。新幹線で帰れば5000円弱するというのに、なんというメシア然とした御仁…。

そういうこともあり、私は友人と先に落ち合ってから御令兄様を待っていたのです。思えば、彼とは少々疎遠になっており、ここで会ったのが1か月そこそこ振りでした。そんな彼が一言。


「おー!めっちゃ久しぶりやんな!どないしとってん?」

…私は思いました。

「あぁ、私の中に惹起した感情、これはエスノセントリズムだ。」

エスノセントリズム(英: ethnocentrism)とは、アメリカの社会進化論者ウィリアム・サムナーの造語で、自分の育ってきたエスニック集団(族群)、民族、人種の文化を基準として他の文化を否定的に判断したり、低く評価したりする態度や思想のこと。


カチャリ。彼を『友人』というフレームから『エセ関西弁を喋るやつ』というフレームに付け替える音が聞こえました。
(ちなみに、岡山弁で先程の言葉を翻訳するならば、
 「おー!ぼっけぇ久しぶりじゃな!どーしょん?」となります)



かの有名な灰原哀はかく語りき。
「方言は言葉につけたアクセサリー。 外したければ外していいけど捨てちゃだめよ。 それにはあなたがそこで育ったという大切なメッセージが刻まれているんだから。」

そして、私はこう付け加えます。
その土地の方言に簡単に感化されてしまうやつはアホ。自分が生まれ育った文化を捨てずに持っていることこそが正義。」と。

(ただ、後々調べてみると「その土地の言葉に早く順応する人ほどコミュニケーション能力や知性に優れる」といった研究もあるらしいですね…笑)

そして、私はこのように感じます。

千鳥、頑張れ。

と。


というわけで、涼に書いてほしい記事を指定させていただきます。

①⇒岡山弁で書いてください。
②⇒高校時代と今とを比べて、変わったところと変わらないところを教えてください。
③もし余裕があれば、このようにして八重が書けるようなテーマを指定してください。

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