1965年-昭和40年-親族といざなぎ景気

5年後の大阪万博が決定し、いざなぎ景気が始まる1965年。
記憶は全く無いので親族のことを書こうと思います。

浮世離れした家の個性豊かすぎる親族たちが、私の人格形成に大きな影響を及ぼしたと思います。

祖父・おじいちゃん
平井家の主でしたが前回書いたとおり私の生まれる2ヶ月前に他界。
おぼろげに株屋だったと聞いた記憶があります。

祖母・ばばちゃん(ノブコ)
旧姓は松下。金沢の名家出身で凛とした明治の女性です。
私は中学1年までばばちゃんに育てられたおばあちゃん子でした。
おばあちゃんが上手く言えずに“ばばちゃん”になったらしい。

マルイチのおじさん(シンキチ)
祖父の弟。都電の梶原駅前で小さなパチンコ店“マルイチ”を経営。
生涯独身でボウリングが趣味。
母をとにかく可愛がっている。
お手伝いさんのくーちゃんは元々マルイチのスタッフさん。

叔父・わーおー殿(エイジ)
昭和2年生まれ。母の兄。
東大を首席で卒業して大手ゼネコンに務める平井家の主。
私が幼い頃は仙台、小学生の頃は本店のある大阪に住んだので一緒に暮らしたことは無い。
東京出張で夜に帰省してくると、寝てる私を「わーおー!」と脅かしたことから“わーおー殿”になったらしい。

叔母・シゲコおばさん
わーおー殿の奥様。綺麗な方。

叔父・のりちゃん(ノリユキ)
昭和15年生まれ。母の弟。
一橋大学を出て大手信託銀行に勤務。
クラシックを聴きバイオリンを弾く。
同居していました。

実はわーおー殿の上に兄がいて、生まれながらに重度の知的障害で禁治産者(2000年に制度廃止)となったため、私は一度も会ったことはありません。
空襲で亡くなった末弟を合わせた5人きょうだいで、母は一人娘でした。

平井家側の話では酒癖が原因で離婚した父は完全な悪者だったので、話題に出ることも殆どありませんでした。

私に父の面影があるからか、男ばかりの親族と接するときは見えない壁のようなものを感じていました。
ぶっちゃけ嫌われていたのだと思います。

母は大好きだし可愛がってくれましたが、奔放な女性でもあり殆ど一緒に住んでいませんでした。
まーこれは小学生の頃に転校するのを嫌がった私のせいでもありました。追って記そうと思います。

そんな中、ばばちゃんだけはこよなく私を愛してくれました。

この年は「サウンド・オブ・ミュージック」が公開されました。ドレミの歌が映画音楽だと知ったのはずいぶん後のことです。
その他「大怪獣ガメラ」や「メリー・ポピンズ」もこの年。子供が多かったんですね。

一方テレビでは「ジャングル大帝」がカラーアニメとしてスタート。
この頃はまだモノクロ作品が普通でした。

プロ野球では、野村克也選手が戦後初の三冠王の活躍でパ・リーグ優勝。日本シリーズは巨人が4勝1敗で制しV9がスタートします。

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