1966−昭和41年 3Cと魔法少女になった母

ビートルズが来日し、ウルトラマンが放送開始、週刊プレイボーイが創刊し、ウォルト・ディズニーが亡くなった1966年。
いざなぎ景気でカラーテレビ・クーラー・カー(自動車)が3Cと呼ばれ一般家庭に普及し始めました。

うちの3C状況はと言うと。

テレビは家具調の立派な20インチが応接間に、脚の無い木目調の16インチがばばちゃんの部屋にありました。
幼い頃からチャンネル争いとは無縁だったので私は泥沼のテレビっ子になりました。

クーラーはまだありませんでした。
夏は今ほど過酷では無く、庭に面した部屋はテラスや縁側だったので網戸にして開け放つと扇風機を回すだけで十分しのげていました。
冬は日が暮れると雨戸を閉め、筒型の石油ストーブや掘りごたつで過ごしました。

車はのりちゃんが乗っていました。
白いダットサンブルーバード410です。
ルパン三世で銭形警部が乗るパトカーとして(カリオストロの城以降)度々登場する日産の小型セダンで、銭ブルなんて呼ばれてるあの車です。
ピニンファリーナのデザインはとても今見ても美しく、鍵穴のようなテールランプがチャーミングでした。

経済的には十二分に恵まれた環境ではありましたが、坊っちゃん扱いなどされた事は無く、生活も華美な贅沢を嫌う質実剛健な家風でした。

そんな年の瀬にNET(現テレビ朝日)で「魔法使いサリー」が放送開始しました。
初の少女向けアニメで東映制作の魔法少女シリーズ第一作です。

母がこの作品の主役“夢野サリー”の声を演じることになりました。
作品は大ヒット。まる2年続きました。

コンテンツの少なかった時代ゆえに向こう10年くらい度々再放送され、私はそれを見て普通に楽しんでいました。
大抵のエピソードは今でも覚えています。
ただ最初の半年(17話まで)はモノクロだったので再放送されなかったので、魔法の国から日本に来たところは見たことがありません。

自慢の母親でした。


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