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後楽園ホールとボクシング部  仮想編集後記#11

▼先日久しぶりに後楽園ホールにボクシングを観に行った。友人のボクシング好きでサーファーの印刷会社社長に誘われたからだ。もともと私が勤めていた出版社の書籍を印刷してくれているという取引先の人だったのだが、十数年前に後楽園ホールのボクシング観戦でばったり会ったことをきっかけに仲良くなった人だ。

▼後楽園ホールは「格闘技の聖地」と言われる。後楽園球場がなくなって東京ドームになっても後楽園ホールがあり続けるのはうれしい。その東京ドームも、築地市場跡地に移るとか移らないとか。

▼ちなみに、後楽園には昔、競輪場があった。水道橋駅近くの三崎町町内会の方々に聞いたが、水道橋の街が戦後で一番景気がよかったのは競輪場があった時代だったという。飲み屋、焼き鳥が繁盛し、ヤクザもまつりをやったり、賑やかだったそうだ。


水道橋駅前から見える後楽園の黄色いビル(2024年7月)



▼ボクシングについてはいくつか話したいことがあるが、今回は少しだけ。私は明治大学の体育会ボクシング部の部員だった。といっても大学院時代だ。大学は中央大学だったが、大学院は明治大学の法学研究科国際公法学科に入学した。指導教官は宮崎繁樹教授。当時は明治大学の総長もされていた。私は勉強キライだったが、大学で勉強に目覚めて、もともと就職するモティベーションも弱いので、大学院にズルズルといってしまった。

▼大学院入学後の4月、御茶ノ水キャンパスを歩いていると、大学体育会ボクシング部が一年生募集のポスターを出していた。当時、心機一転4月からは規則正しい生活をしようと私は考えていた。勉強をして、スポーツをして、アルバイトをしてという生活だ。奨学金もがっつり借りていた。奨学金の話は機会があれば話したい。ポスターでは「1年生募集」とあるので、私は「おれも1年生やんけ」と思った。ボクシング部に入れば、毎日1、2時間程度の練習ができて、会費も安いだろうし、シャワーも浴びれる。これはいいと考えて、私はボクシング部に行ってみることにした。

▼『格闘技通信』を舐めるように読んでいた私は、本当はフルコンタクト空手をやりたいと思っていたのだが、身体が硬いので股割りをされたら股が死んでまうなと思案していた。そのため総合格闘技をやるにしても、今の時代、まずはボクシングでパンチを極めるのもありかとも考えていた。もはや、なんのために大学院に入ったのかわからない話だ(その後私はボクシング推薦で入学したと言われる)。一応、「先住民族としてのアイヌの国際法上の地位について」という修士論文を書いて修了しているが、これは門外不出であり、お見せできない。

▼今は改築されたが、かつては校舎の地下に各体育会クラブの部室があった(大学自治会のタテカンも転がっていた)。地下のニオイは体育会のなんともいえない空気を瞬間的に思い出させる、汗が数十年に染み込んだぞわっとする臭いだ。

▼丸い板張りの開かれた道場があり、それを囲むように部室があった。相撲部、剣道部、山岳部などが並び、その一角にボクシング部の部室はあった。部室を開けると、部室に目一杯に広がるリングがあり、奥のベンチには練習前に早く来ていた部員がいた。3年生部員のKだった。そこで中に入り彼に部員募集を見てきたというと「1年生?」と聞かれた。
「はい、そうです」と答える。そうなのだから。
「入部希望だね?」
「はい」
「学部は?」
「法学研究科です」
「法学部?」
「いえ、法学研究科です」
「法学部じゃない?」
「はい」
「・・・・・。大学院ですか?」
「そうです」
「え」
「だめですか?」
「いえ。初めてのことなので・・・・・。ちょっと部長と監督に相談しないと」
「でしょうね」
「はい。明日また来ていただけますか」
「了解です。じゃあ明日また来ますね」
「はい」
「何時にくればいいかな」
「✗✗時に来てください」
となったのである。

 そこで翌日に再び部室を訪れると、今度部長はもいた。
「こんにちは、どうなりました?」と声をかけると、部長は「昨日、監督や部員たちで相談したんですが、平井さんにはみんなのお兄さんになっていただけたらと思いまして」という。お兄さん・・・。
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
「押忍」
「押忍」
 ということで、私はボクシング部に入部することになった。
 大学院生は関東大学ボクシングリーグには出場できなかったが、春から夏のシーズン中は毎回後楽園ホールに応援に行き、リングサイトで応援した。1部、2部の大学は後楽園ホールで試合を組まれた。選手にとっては格闘技の聖地、後楽園ホールで試合ができたことはうれしかっただろう。
 ただし3部以下の大学は、地方の体育館などで試合をすることになる。これはツライ。


後楽園ホールに向かうらしい大学ボクシング部の集団(2024年7月)



▼私はリーグ戦には出場資格はなかったが、オープン戦という東京都で開かれている試合に部員たちと出場をした。これはチーム戦ではない。部のみんながセコンドについて、親身になって、全力で応援してくれて、その優しさがとてもうれしかった。こんなに応援してくれてんだから、絶対相手を倒す!と思ったものだ。
 減量で死にそうになってリーグ戦を戦っているような真面目な部員ではなく迷惑もかけたが、おかげさまで短い在籍だったが、公式試合は2戦2勝2KO(RSC)だった。

▼その後、出版業界に入り、総会屋を取材した際には、専修大学ボクシング部OBの論談同友会・政田幸一さん、早稲田大学ボクシング部OBの小川薫の広島グループ・玉田大成さんらと知り合った。ボクシング部ということも親切にもしてくれて、大企業や事件などについて色々と裏話を聞けたことは大きな経験になっている。
 そうして、今もたまに後楽園ホールに行ってはビールを飲みながら声を張り上げている。(H)

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