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鎌倉ヴィーナスカフェ 建物明け渡し事件! ますます真相に迫るぞ、第2弾!!

古都として人気の街・神奈川県鎌倉市。その海岸沿いの湘南エリア・稲村ヶ崎の近くにあり、桑田佳祐監督の映画『稲村ジェーン』のモデルにもなった人気レストラン、ヴィーナスカフェ。しかし、そのカフェと鎌倉市がここ数年なにやら揉めている。その真相に迫る第2弾である!


 今回も前回に引き続き、鎌倉にあるVenus Cafe (ヴィーナスカフェ)建物明渡事件の真の問題に迫ってみたいと思う!
 と、その前に、疑惑の耐震診断により、公園設置許可が不許可になり、鎌倉市から出て行けと言われているヴィーナスカフェだが、何故同じ敷地に立つ鎌倉パークホテルは耐震診断はされず、ヴィーナスカフェだけが耐震診断を受けなくてはいけなくなったのか? など、さまざまな疑問が頭を渦巻く。そこで、今回、記者は単刀直入にヴィーナスカフェのオーナーの吉澤治郎氏へ質問をぶつけてみたのである!

吉澤治郎オーナーへの質問


ゴーストマガジン(以下G)「オーナーと鎌倉市とは、いつから関係は悪くなったんですか?」    
吉澤オーナー(以下、オーナー)「父から聞いた話ですが、平成7年頃からだと思います」
G「それってオーナーのお父様が、ヴィーナスを買った頃ですよね?」
オーナー「そうなんです。ヴィーナスが売りに出ている話は、当時、父が仲良くしていた鎌倉市の職員から貰ったそうです。前オーナーの河野氏から、店舗と管理宿泊棟をそして営業権を売買契約で購入しました。そこまでは良かったのですが、購入した店舗は思っていたよりもかなり傷んでおり、まともに営業が出来る状態ではなかったと聞いてます」。

吉澤オーナー(ヴィーナスカフェにて)


 オーナーの話では、肝心の厨房がまともに使えず、お客さんから注文が入ると料理を稲村ヶ崎にある自分のレストランで料理を作ってヴィーナスへ運んでくるという毎日だったそうだ。
 営業開始からおよそ2年。鎌倉市役所に相談してもいつも逃げられていたが、ようやく知り合いの鎌倉市議を捕まえ直談判することに成功。市議は親身に話を聞いてくれ、すぐに担当の部長と課長を呼んでくれたそうだ。市議から呼び出された職員は、終始「市にはお金が無いので改築や改修工事は無理です」とガンとして譲らない。自腹で工事することを条件に、ようやく改築工事を認めてくれた。鎌倉市の部長から、この件は、他言は無用で」とも言われたそうだ。平成10年(1999年)、ようやく大改築工事にこぎ着けたのだった。
 そんな喜びも束の間、オーナーのお父様の耳に、鎌倉パークホテルが平成6年(1997年)に行なった大改築に至った経緯が入ってきたのだ。鎌倉パークホテルといえば、初代ヴィーナスの閉店へと追い込んだ因縁の相手。本来この公園内には建てることが許可されない、巨大なホテルだ。鎌倉水族館が不審火によって消失、その後どういう経緯かわからないが、突如として現れた!そんなホテルだ。
 これには、さすがのお父様も”怒りの導火線”に火がついたのだった。

鎌倉パークホテルの改築工事


オーナー「鎌倉パークホテルの改築工事の話に関して、父はかなり怒ってましたね。 それはそうですね、ヴィーナスは鎌倉市の顔色を伺いながら、懇切丁寧に工事が必要だと訴えて来て、およそ2年に渡って交渉を続け、ようやく許可が 出たのに、隣のホテルには、はい!どうぞ!ってそれは無いだろう」って。

G 「そうですよね。同じ公園の中に建ってるのに、その差はなんなんですかね?」
オーナー「その辺りからなんですよね、鎌倉市から厄介ものとして扱われ始めたのは」

 なるほど、前回書いたゴミ箱問題や、従業員用のロッカー設置問題に、ここでつながる訳か。闇が深い。
 例えは悪いが、プロレスで、悪役レスラー(ホテル)が凶器を手に、相手(ヴィーナス)を血だらけに責めても、レフリー(鎌倉市)は凶器の存在を知っているにも関わらず、その凶器を取り上げない。そんな状況に似ているかもしれない。それにしても、鎌倉市の対応には少し気持ち悪ささえ感じる。

手前のビーナスカフェの奥に建つのが鎌倉パークホテル

簡易宿泊施設しか建てられないはずなのに、なんで?


 平成14年(2003年)5月の入手した、鎌倉市の行政文書一部公開決定通知書が手元にある。この書類は、平成4年(1993年)に鎌倉パークホテルから鎌倉市へ建て替えをお願いする書類だ。とても興味深いのが、当時、公園内は、簡易宿泊施設以外は建てられない法律になっていたのだ。しかし鎌倉パークホテルは簡易宿泊施設として建てられている。
 そもそもこの土地は、鎌倉市の都市公園であり、建てられる建物は公園のための便益施設と限定されていることだ。しかし、鎌倉パークホテルは、誰がどう見ても立派な観光ホテルにしか見えない。百歩譲って立派な簡易宿泊施設を建ててしまったとしよう。
 だが、都市公園法の大前提の規定である都市公園法施行令第2条には「主として街区内に居住する者の利用に供することを目的とする都市公園は、街区内に居住する者が容易に利用することができるように配置」することとある。
 
さらに、都市公園法施行令の第8条第4項には「当該都市公園の効用を全うするために特に必要があると認められた場合のほか、宿泊施設は設けてはならない」と定めているのだ。

<都市公園法施行令>

「戦後のどさくさのレストハウス」となじられる疑惑の耐震診断で立ち退きを命じられているヴィーナスカフェ。かたや都市公園法違反の疑惑があるのにも関わらず、鎌倉市から便宜を図ってもらっている(?)鎌倉パークホテル。この差は一体何なのか? 闇だ!!

「鎌倉海浜公園坂の下地区」に建つ、とても立派な「鎌倉パークホテル」

 このことについて鎌倉市へ質問状を送っているのだが、その件に関してはいまだに回答がない。この件に関しては鎌倉市のしかるべき部署からの回答を待って、是非とも続報をお伝えしたいと思う。

鎌倉市、抜き打ちの耐震診断!の不可解さ

 今回、抜き打ちで行われた耐震診断により、便益施設としての許可を取り上げられた。鎌倉市の説明では、ヴィーナスカフェを追い出した後の計画は何もないと答えているが、何故追い出しを急ぐのか?とても理解が出来ない。

【動画】2024年6月14日 鎌倉市議会建設常任委員会では、「耐震問題」から鎌倉市の発言が変わって来ている。耐震診断の結果はどこへ行った?

<2024年6月14日鎌倉市定例会動画>

 鎌倉市の職員とくりはらえりこ議員のやりとりを是非ご視聴いただきたい!
 鎌倉市は、耐震診断はあくまでもきっかけだという。そんな昭和の地上げ屋のような手口が通用してしまうのが今の鎌倉市なのだ。鎌倉市の土地ではあるが、一市民がルールを守り、真っ当に営業する店舗を、最も簡単に召し上げて良いのだろうか? いや、そんなことが許される訳がない。
 動画の中でくりはら議員が、同じ鎌倉海浜公園内に建つ、鎌倉パークホテルに対しては、耐震診断を行なったのかどうか聞いたところ、鎌倉市はパークホテルに対しては耐震診断を行なっていないと述べている。職員の説明だと、鎌倉パークホテルは平成6年に建てられた建物で新耐震基準を満たしていると、パークホテルの代理人の如く語っていたのに違和感を感じた。
 ヴィーナスカフェはパークホテルよりも4年も新しく、かつ、ホテル同様に新耐震基準を満たした設計と工法で建てられている。もっと言えば、ヴィーナスカフェは平屋だ。鎌倉市が言う2階建てでは無い。
 鎌倉市にパークホテルとヴィーナスカフェの違いを質問したが、回答は無かった。現在、鎌倉市とヴィーナスカフェの係争は、建物の所有権の争いへとなっている。鎌倉市は、建物は市が建てた建物なので所有権は市側にあると主張している。
 一方、ヴィーナスカフェは、初代オーナーの河野利貞が建てた店舗であると主張! 両者とも一歩も譲らない構えだ。 
 現地を取材した際、周辺の古老に話を聞くことが出来たが、昭和28年(1953年)に水族館が開館した際、その敷地にレストランが出来たと教えてくれた。地元の古老たちはそれがレストハウスだったと教えてくれた。それは鎌倉市が言うような鉄筋コンクリートではなく、木造平屋の建物だったと口を揃えて言ったのである。

郷土史「御浦9月号」に書かれた食堂と書かれたレストラン


郷土史「御浦9月号」より

鎌倉市が提出してきた摩訶不思議な証拠書類

 これまで鎌倉市が裁判所に提出した証拠書類に我々は疑義を持っている。
令和5年(2023年)3月9日付けで審査請求を起こした際、鎌倉市が提出した弁明書の証拠として出してきた「乙6号証」(令和5年3月)。
 鎌倉市がヴィーナスカフェ(メイン商事)を相手どり起こした建物明渡等請求訴訟の証拠説明書として出してきた「甲3号証」(令和5年10月)。
 そして、コピーであるため、裁判所から原本提出をするよう求められた甲3号証の1(令和5年12月)。
 鎌倉市の説明も、この3枚の証拠は間違いなく同一の証拠と認識をしているはずだ。しかし、その後開かれた裁判では明らかに見た目が違う証拠が出ている。
 裁判官も証拠の提出は原本が原則として、鎌倉市へ伝えると、法廷にもかかわらず、なぜか鎌倉市の代理人弁護士が顔を赤く紅潮させ声を荒げる場面があったという。思わず傍聴席からも失笑が漏れたそうだ。ここにコピーではあるが、裁判所に提出された同一であるはずの証拠資料を貼っておく。
 下の「乙第6号証」と「甲第3号証」は同じだが、原本の「甲第3号証の1」は違うことがおわりかりだろうか。上2つは途中で枠線が切れていたり、地番がなくて原本とコピーが違うのだ。コピーのミスなのか(ありえないが)、まさか鎌倉市側が改ざんしたのか? 

令和5年3月審査請求に提出された「乙6号証」
令和6年10月25日の口頭弁論で提出された「甲3号証」


令和6年12月2日に非公開の裁判で提出された「甲3号証の1」

 次回は、来年令和7年(2025年)1月27日に第3回目の建物明渡裁判が横浜地方裁判所で行われる。再度、証拠提出を求められた甲3号証の書類。果たしてヴィーナス側代理人が指摘したように原本は出されるのであろうか? おおいに注目したい。

鎌倉市長・松尾崇氏個人への名誉毀損を提起!


 耐震診断をきっかけにして始まったヴィーナスカフェの建物明渡訴訟問題。実は、思わぬところで新たな訴訟が始まろうとしている!
一刻も早くヴィーナスカフェを鎌倉海浜公園から追い出したい鎌倉市は、市長自ら、印象操作と言われてもおかしくないような暴言を発言をしてしまう。令和5年4月9日号「週刊新潮」を取材した記者に松尾市長は、

「鎌倉には戦後のどさくさにまぎれて続いてきた施設があり、あの一帯もそう。後世の人たちが苦労しないように、ここでちゃんと区切りをつけようというのが私の方針です」

と答えたのだ。

戦後のどさくさ」発言を報じた「デイリー新潮」

 早速、記事に食い付いたのは、鎌倉市議会の重鎮議員、松中けんじ(82)議員である。6月に行われた鎌倉市定例会で市長にこう噛み付いたのだ!「戦後のどさくさに紛れて続いてきた施設もあり あの一帯もそうだ!ってあの一帯ってどこなんですか? こんな言われ方したらたまったもんじゃない!」。それに対して松尾市長は、「記事の内容に対して違和感がある、そういう趣旨で言ったんじゃ無いのになー」と逃げた。しかし、最後はしっかりとした言葉で、「(松尾)ヴィーナスカフェをイメージして言った」と
認めている。


令和5年6月16日の鎌倉市議会建築常任委員会では、週刊新潮での松尾市長のインタビュー記事について松中健治議員から追及を受けた!その時の動画がこちらだ!

2024年6月16日鎌倉市議会定例会・理事者質疑動画

 後日、松尾市長に取材をした「週刊新潮」の記者に定例会での松尾市長の発言を伝えたところ、記者は「えっ!松尾市長、そんなこと言ってたんですか??驚きです」と返ってきた。

 令和6年12月5日に東京地方裁判所へ損害賠償及び訂正・謝罪公告請求事件、いわゆる名誉毀損での訴訟に踏み切った。被告は鎌倉市長の松尾崇個人である。原告のヴィーナスカフェオーナーは、「戦後のどさくさ紛れの不法占有者のごとく扱われ、店のイメージと信用が壊された!許せない!」とオーナー個人とヴィーナスカフェ(店)への損害賠償として2,000万円と謝罪広告を請求した。裁判は、来年令和7年1月に行われる予定だ。
 一体どんな判決が出るのか注視していきたい!

 最後に、今年の鎌倉市は12月に入ってからこのブログマガジンを賑わす話題が目白押しだ! 
 現職鎌倉市議による一般廃棄物収集運搬業者へ天下りした建設常任委員委員長事件、鎌倉市生涯学習センター耐震訴訟事件、鎌倉市新庁舎移転に伴う鎌倉3億円事件、そして松尾市長を巻き込んだ元鎌倉市議会議員の公職選挙法違反疑惑事件と取材が山ほど溜まってしまった。
 取材をしてわかったことは、鎌倉市の行政は市民に目を向けていないのではないか?と言うことだ。それをいいことに鎌倉市は結果ありきで物事を進めていると思えて仕方がない。
 来年の令和7年(2025年)は、鎌倉市でも3つの選挙がある。松尾市長は「次の市長選はまだ白紙だ」と発言したが、私はそうは思わない。そろそろ「人を欺く政治」は終わりにして、2001年史上最年少でトップ当選した、あの頃の松尾崇へ立ち戻って欲しい。

(文中一部敬称略、だいもん 孝之/「GHOST MAGAZINE」湘南支局)


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