
Dr.スランプアラレちゃんへの憧れ
ときどき、タバコとかゴミをポイ捨てしている人をみると、「ちゃんと自分で持ち帰ってください」と言いたい気持ちに駆られる。だけど、何をされるか分からない恐怖心から、言えない。
ポイ捨てというのは一例だけど、おんなじようなことがこれまでの人生において100回以上あったのではないかと思う。情けないことながら。
これは勇気や覚悟がないからでもあるけど、物理的に弱い人間であるからというのもある。
だから小さい頃は、Dr.スランプアラレちゃんに憧れていた。
アニメの詳細までは覚えていないのだけど、とにかく強くて元気なアラレちゃんが好きだった。そんなわけで、強くなりたいなあという漠然とした思いを抱きつつ、小心者だった私はただ憧れだけを抱いていた。
そんなこんなで大学生になり、「運動をガッツリできる最後の機会かも」と思って、憧れていた武道をやってみようと少林寺拳法をはじめた。
大学時代は練習に励んで、たのしくやっていたけれど、3年生で引退後は他にやりたいことがあったというのもあり、すっぱり部活からは身を引いていた。
それから約7年の歳月が経ち、2022年、さすがに運動しないと体力と身体がやばそうという危機感から、少林寺拳法を再開してみることにした。
最初は、帯の結び方すら覚えておらず、思うように力が入らないことや、身体が動かないことに焦りを感じて楽しむ余裕すらなかったけれど、最近は身体を動かすことが楽しいと思えるようになってきた。
そしてつい先日、入門式があったこのタイミングで、今感じている少林寺拳法のおもしろさと今後の抱負について書き留めておこうと思う。
いろんな要素があるのだけれど、少林寺拳法は、突きや蹴りといった「剛法」と相手の力をうまく利用する「柔法」があり、「剛柔一体」の武道となっているところが個人的に推しポイントだ。
いずれも「相手の力を活かして動く」というところが奥深いなと思う。
私の通っている道院では、道院長の先生が口を酸っぱく、剛法でも柔法でも「相手とのつながりが大事」と言う。それができればすべてできるようになっていく、と。
基本的に相手と相対して闘うシチュエーションにもかかわらず、意識は「相手とつながる」であるところがおもしろい。
「相手とつながる」ことで相手の力をいなし、自分の力をより伝えることができるようになるということなんじゃないか、と考えている。
そういう感覚を身に着けていきたいし、うまく表現できないけれど、その感覚を仕事や生活においても実践していけたら強いのではないかと思っている。
だけど、当然、頭で分かっていてもすぐにできるものじゃない。
身体は思うように動かないもので、かたちを真似してみても意識の持っていき方や身体の使い方によって力の伝わり方は全然違う。
うまくいかないことも多いけど、少し意識を変えると新しい発見があったりもする。数を重ねていくうちに、ふと感覚をつかめることもある。そんな発見がおもしろい。
身体の動きは自分の中にある無意識をまざまざと見せつけてくるなとも思う。怖いと感じる気持ちなども如実にあらわれてしまっているようで、先生に指摘される。でも無意識が表面にあらわれてくることで、その意識に向き合うこともできるはず。
身体を動かすことは、頭で理解することと何かを実行することは違うこと、それでも数を重ねることでできるようになることがある、と教えてくれる。
そうした経験を積んできた先生や先輩方のかっこいい姿は、あらためて、強くなることを諦めないでいようと思わせてくれる。
Dr.スランプアラレちゃんのように物理的にめちゃくちゃ強くなる、喧嘩で勝てるみたいなのはちょっと難しいかなと思うけど、それでも、今日の自分よりも歳を重ねるにつれて、心身ともに強くなっていけたらいい。
特に身体はこれから衰えていくというタイミングだけど、今からでも諦めず粘っていきたい。そして小さい頃の憧れを胸に、大人になった今の自分なりの強さを会得していけたらいいなあ。