紡ぎ直し
今年の1月に東京から埼玉県に引っ越しをした。
児童福祉、障害者福祉の世界に入って半年が経った。日々様々な課題に直面するが、それと向き合うことは楽しいし、まったくといっていいほど苦ではない。ジムに通い、整体に通い、少々身なりに気をつけている。仕事で子ども達と触れ合い、ボランティアで高齢者の方々を見守っている。私は長く芸能の世界にいて、過当競争の中にいた。それと同時に精神医療病院や依存症の回復施設に携わって、何が人の幸せなのかがわからなかった。
……私個人は、今ある程度満たされている。しかし、私の目の前にも社会の至る所に苦しんでいる人がいる。
たまに思う。私が今無理をしてそれを続ければ、助かる人もいることはわかっている。だからもう少し無理をしようか。と、
例えば、職場で私が就労日数をあと一日増やせば、その日、50人弱の人達が助かるだろう。
例えば、相談を持ちかけられた友人のギャンブル依存症やアルコール依存症の同僚にお金を貸してあげれば(極端な例だが……)、それはそれは喜ばれるだろう。
だが、私はそれをしない。当たり前のことかもしれないが、意外とそういうことには葛藤があるし、それに見合った気力と体力がいる。
私は現代の世の中を見て、私の立場で長期的にものを考えている。目的ははっきりしている。今よりも良い世の中にすること、自分と周りの人をできる限り幸せにすることだ。なぜならそれが一番と言っていいほどに難しいことだからだ。それこそ一生を掛けなくてはならない。それを達成するためには学び、実践し、様々なものに出会わなくてはならない。そして、それをするにはまず心も体も健康でなくてはならない。が、今の世の中にはそれを害するものに溢れている。だからこそ、注意深く気をつけて生きていかなくてはならない。俗欲に塗れて、囚われた人の末路は皆、惨たらしく、哀れなものだった。昨日と一昨日は、中学生〜高校生の知的障害と身体障害を持つ子達の支援施設に出勤していた。最近私はその施設で、「始まりの会」と「帰りの会」を担当している。10人強の子達だ。みんなよく笑い怒り泣き、はしゃぐ、素直でとても良い子達だ。私は心底、この子達に幸せになってほしいと思っている。2つの会をして、一緒に笑って楽しく向き合っていると、その自分の気持ちを文字通り、痛感する。
だが、現実は厳しい。一生を誰かや社会の良心や助けによって生きていかなくてはならないこの子達の一生を守っていくことは並大抵のことじゃない。そのことを私はプライベートや家庭、仕事でもずっと向き合ってきたからわかる。特にコロナ禍や自然災害、インフレ、30年続いたデフレは誤魔化し切れないほどの悪影響と不安定さを日本社会にもたらした。それでも、現実社会の至る所からそういったことから目を背ける傾向を感じる(少なくとも私には)。
私の教訓と信念に「誤魔化せば誤魔化すほどに、何が本当かわからなくなる」というものがある。私には今の社会がこんがらがっている毛糸に思える。だから一つ一つ一本一本解いて、紡ぎ直す必要があると思っている。
誰だって、不幸せになりたいと思って生きてはいない。それだけは共通しているはずだ。ならば、何度でもどれだけ大変でも向き合っていくいけばいいはずだ。私もその最中にいる。
■追伸
この間、LGBT基礎理解検定の初級を受けて合格した。学んでいてとても有意義だと思った。そして、世間のイメージと実際との乖離が酷いこともよくわかった。まったく嘆かわしいことだ。
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