『この課題、私はやらなくていいですか』
子どもたちが騒いでいる。
自分は教壇に立って、子どもたちを鎮めなければと、声を荒げる。教卓を叩き、いちども発したことがないような乱暴な言葉を叫ぶ。
どんなに叫んでも、その声は子どもたちに届いていない。
ときおり、そんな夢を見たものだった。
決まって、嫌な汗をかいた。
こういう夢を見るのは、どうやら自分だけではないらしい。
懐に、小さな刃を持つこと。
当時の自分は、生徒を“統率”しなければいけないと思っていた。
全生徒が席につき、姿勢を正しているべきだ。
全生徒が、先生の話を真剣に聞いているべきだ。
先生が指示し、生徒が従う。
先生が、生徒を、評価して正しく導く。
その呪いが解けてからは、嫌な夢も見なくなった。
教育の道を進む過程として、間違っていたとは思わない。
子どもたちだけではなく、先生も、様々な評価や言説や糾弾に晒され、心理的危機の中を生きている。
“統率”する力は、身を守る懐刀になりうる。
駆け出しの先生がその刃を熱心に研ぐことは、必然だと思う。
子どもたちには申し訳ないし、そんな刃がいらない社会であってほしいけれど。
生徒との信頼関係について。
《信頼関係なし》
生徒が、先生の言葉に耳を傾けていない状態。
生徒はその先生に従うのではなく、権力や圧力に従う。
《信頼関係1.0》
生徒が、先生の言葉を信じて従っている状態。
生徒はその先生による導きを求め、提案やルールに従う。
《信頼関係2.0》
生徒が、先生が自分の支援者であると信じている状態。
生徒はその先生の言葉をよく聞いたうえで熟慮し、ときに従い、ときに従わず、ときに別の支援を求める。
《信頼関係2.0》を目指せるようになって
ある日急に変わったわけではないけれど、少しずつ、呪いが解けていった。
生徒との関わりが、楽しくなった。
クラス全体に課題を出したあと、一部の生徒が
「〇〇の理由で、この課題はやらなくていいですか」と言ってくる。
(そう問われると「いいよ」としか言えないので、本当は「この課題をやらないつもりです、どう思いますか」と聞いてほしいのだけど)
何らかの相談にきた生徒の話を聞いて、
「先生からはこのような手伝いをしようか」と提案すると、
「いや、むしろこういう手伝いをしてほしいです」と言ってくる。
ルールで何かを強要する必要がない。
何か困ったことがあれば、生徒たちに「相談」か「お願い」をしたらいい。
おもしろい。
自分の目の黒いうちは、この仕事はAIごときには替わらせない、と思う。