今日のブルース⑮バーベキュー・ボブ「ミシシッピずぶ濡れブルース」
さて、前回ハイ・ヘンリー・ブラウン「タイタニック号ブルース」とレッドベリー「タイタニック号」のなかに、あまりブルースらしくない、プリブルースの名残とも言える客観的な語りを見て、次回はブルースらしいパーソナルな語りの代表としてチャーリー・パットン「ハイウォーター・エブリホェア(どこもかしこも水びたし)」を取りあげると予告した。しかし、改めてパットンの歌詞をチェックしてみると、第三者的な語りとパーソナルな一人称の語りを組み合わせて、より複雑な語りの世界をつくりあげている。さすが、デルタ・ブルースの父とも王様とも言われる男である。そこで、パットンの傑作は次回たっぷりやるとして、今回は共通するテーマのブルースのなかから、よりブルースの基本マナーに忠実な曲を選んで、一人称の語りとは何なのか、それは三人称の語りとはどう違って、どのような良い点があるのか検証してみたい。
共通するテーマというのは、1927年のミシシッピ川の大洪水である。この年、記録的な長雨の影響でミシシッピ川が各地で氾濫を起こし、7万㎢が水に浸かった。70万人が家を失い、500人を超える人々が亡くなっている。2005年のハリケーン=カトリーナによる水害同様、被害が貧しいアフリカ系アメリカ人の住む地域に集中したこともあって、水害を嘆く多くのブルースが生まれた。今回取り上げるバーベキュー・ボブことロバート・ヒックスの「ずぶ濡れミシシッピのブルース(ミシシッピ・ヘヴィ・ウォーター・ブルース)」(1927年)の他、ベッシー・スミス「バックウォーター・ブルース」(1927年)、ブラインド・レモン・ジェファーソン「ライジング・ハイ・ウォーター・ブルース」(1927年)、メンフィス・ミニー&カンザス・ジョー・マッコイ「堤防が決壊するとき」(1929年)、そして、チャーリー・パットン「どこもかしこも水びたし」(1929年)と、いくつものブルースがこの未曽有の災害のなかから生まれている。これらのブルースの歌詞をチェックしてみると、この時点ではブルース的な語り口が確立されていたのだろう、パットン以外は一人称の限定された視点からの語りで一貫している。
「ずぶ濡れミシシッピのブルース」はミシシッピ川の洪水で妻もしくは恋人を失った男の歌である。語り手は、愛する人を失くした男その人(つまり一人称)で、「いつになったら着替えられる」や「パーチマン農場」におけるブッカ・ホワイトがそうだったように、自ら体験したことと、体験したことに対する思いのみを語る。そして、その思いというのが、恋人に帰ってきて欲しいの一点張りなのだが、表面上変わっていないはずの望みの内実がだんだんと明らかになっていくところが、ブルースらしくてオカシイ。つまり、このコラムの原点、sweet old 下ネタである。まあ、奥さんや恋人の身体が恋しいと言って悪いことはないが、彼女が災害で亡くなったのか、あるいは災害後、愛想をつかして出て行ったのかは今一つはっきりしない。こういうぼやかしたダブル・ミーニングというのも、ブルースにはよくあるように思う。
ともあれ、ここでは個人的な体験が、細かい経緯をほとんど明らかにせずに提示されている。彼女を失うという体験の重みだけはずっしりと伝わって来るものの、恋人が水害で亡くなったと考えた場合、あまりにパーソナルすぎて同じような体験をしたものしか共感することができないかもしれない。一方、恋人に捨てられて、失った身体を求めてむせび泣くというようなことはたいていの大人が経験していることなので、二つのイメージを強引に重ねることで、恋人を失うということの生々しく、かつ普遍的なイメージをこしらえていると言ったら穿ちすぎだろうか。物語のなかでは、語り手は喪失感を分かち合える相手を川の向こう岸、アーカンソーで呻いている男のなかに見出す。そして、最後は「男たちよ、みんな聞け!女たちはみんな流されてしまった!」とやけくその発表をし、本名ロバート・ヒックスで、歌い続ける宣言をして終わる。問題は何も解決していないが、なんとなく
「彼女のないやつぁ、オレんとこへ来い。オレもないけど心配すんな」
って感じでよい。そのうちなんとかなるだろう、ひゃっはっはははは。
奴隷解放後の音楽であるブルースを、ワークソングやスピリチュアルと言った奴隷制時代の音楽と隔てているもののひとつが、個人的な体験とその語り口ではないかと思う。奴隷たちには、個人的な体験について考えをめぐらせたり、それに表現を与えたりする時間はなかった。日が昇るとともに仲間の奴隷と共に働き、日が沈んだあと、歌ったたり、語りあったりするにせよ、常にコミュニティのなかでの共同の体験だった。音楽もそうした共同生活の中から生まれてきた。ワークソングやスピリチュアルは一人では歌えない。コール&レスポンスやコーラスがあってはじめて成り立つ歌だからだ。出典は忘れたのだけれど、ブルガリアのコーラスのフィールドワークに行って、田舎の家である歌を聞かせて欲しいというと、「あれは一人では歌えない歌だから」と隣の家からもう一人連れてきて、見事な二重唱を聞かせてくれたという話を聞いたことがある。奴隷たちにとっても音楽とはそういうものだったのだろう。
例外は、フィールド・ハラー、もしくは、アーフーリーと呼ばれる、細かい節回しをつけて歌われる独唱で、これは種蒔きなどの数少ない孤独な仕事の時に、仕事の辛さと寂しさを紛らわすために歌われたという。アーフーリーに育まれた節回しがやがてブルーノート音階という音の配列につながっていったと考えられる。ブルーノート音階は、アーフーリーの複雑な節回しを、スピリチュアルなどのハーモニーのなかにどう解決するかといというところから生まれてきたのだと思う。
やがて、奴隷制度は終わり、奴隷たちは解放されたが、奴隷の解放は、人間の解放ではなかった。奴隷主の財産として、生かさぬよう殺さぬよう、最低限の衣食住だけは与えられていた奴隷たちは、金もなく農地もなく、種も農機具も家畜も教育もなく、どこへ行くのも「自由」だとプランテーションから放り出された。途方に暮れたころになって戻ってきた元の奴隷主との間に
圧倒的に不利益な小作人契約を結ばざるを得なくなり、奴隷時代と変わらぬ労働を続けながら、収穫はほとんど手元に残らない。一方、理不尽な生活の慰めとなってきた奴隷のコミュニティは奴隷制とともに四散した。彼らの悩みは、「核家族」と同じ意味で「核化」した。個人のものとなった悩みを吐き出すメディアが求められ、ブルースとして結実していく。
もちろん、ブルースの目的は個人の悩みを核化した表現に囲い込むことではない。ブルースを通じて人びとは核化した悩みを交換し合い、共通性を探り、ともに行動する。失われた奴隷のコミュニティの代替物がそこに生まれる。ミシシッピ川が水運の要として、アメリカの広い国土を結び付ける一方で、水害によって悲しみで人々を結び付けるように。そこから、黒い肌の植木等が出てきて言うのだ。わかっとるね、わかっとるわかっとる
わかったら、黙っておれについてこーい!