夜船を食う
私の住む地域では、お盆の夜に一艘の小舟を海に流すしきたりがあった。小舟には皿にもられたぼたもちがいっぱい積みあげられている。夜が更けるころ、それを海に流すのだ。船食い様に捧げるために。お盆から向こう一年、安全な漁をできることを願って小舟を流す。わたしはそれを食べたかった。大量に載せられたぼたもちをひとつ残らず食べたかった。船食い様は船を食べたいだけなんだから、ぼたもちはいいじゃないか、と。けれど、それが許されるわけがない。大人たちはなによりも船食い様を恐れていた。いつか都会帰りの男が、いつまでそんな迷信信じてんだ、こんな馬鹿なことする暇あったら網の繕いでもしてる方がよっぽどまし、と言って、強引に船食い様への供物をとりやめ、それ用の船の材料からぼたもちまで全部うっちゃった。そして、船食い様が来るなら俺が相手してやるわと息巻き、いつも小舟を流す場所に居座って夜を明かすと言った。みんな口々にやめろ、ばか、命が惜しくないのか、阿呆、と言い、なんとか男を説得しようと試みたものの、男の意思も固く、頑として譲らなかった。そればかりか、明日俺がなんともなかったら、船食い様のぶんぼたもちをよこせと笑った。翌朝、大人たちは日が昇るとほとんど同時に港へ向かい、そうして虚けた顔で、夜……船……よ……ねよよぶ夜船、とほとんど言葉にならない声でつぶやく男の姿を見た。慌てた人々はすぐさま男を抱えていちばんの大屋敷に住むばあさまのところへ向かったが、ばあさまは男を見るなり静かに首を振った。こりゃだめだ、もう長くはもたん。子どもならまだしも、こいつは立派なおとな。児戯のごとき真似したとて、許される年じゃねんだ。もう、どうにもならん。ぼたもち食わせて、港から流せ。大人たちはばあさまの言いつけ通り、いやいやする男に無理やりぼたもちを食わせると小舟に乗せて男を夜の海に流した。翌日、誰も気づかないうちに男は浜に着いていた。男は冷たくなっていた。それから欠かさず船を流した。船はいつもぼろぼろになって破片だけが浜に帰ってきた。男の件以来、船を流すのは大人でも男でもない、女の子供ということになった。腹いっぱい、ぼたもち食べたくない? その年、船を流すことになっていた子ども衆は大人の寄り合いの間集まってぺちゃぺちゃ喋っていたが、わたしがそう言うとみんな黙った。それから、怒られるよ、ぼたもちならもらえるじゃん、それに、船食い様のものでしょう。あたし船で流されたくない。そんなに食べたいなら、ひとりで食べなよ。うちらは邪魔しないから、ね。そう言われて気づく。ひとりの方がいっぱい食べられるのだ。なら、とそこからはすぐ決まった。もやいを解く前に皿を港にあげる。船は流す。そうしてわたしが食べ終わるのを待って、解散ということになった。当日、大人たちは小舟に大量のあんこを使ったぼたもちを小舟にのせると、海に浮かべた。じゃあ、あとはよろしくな、流したらすぐ帰ってくるんだぞと言い捨てるとそそくさ帰っていった。まだ日は落ちていなかった。大人たちの姿はもう芥子粒ほど小さくなっている。誰かがわたしの名を呼んで、わたしはすぐ港に横づけされた船に乗り込み、皿に手をかける。と、大波が押し寄せて、バランスが崩れた。なんとか船からは落ちなかったが、危ないところだった。改めて皿に手をかけると、さっきより大きな波が打ちつける。さすがにおかしかった。周りの子ども衆もわたしに注意を呼び掛ける。でも、わたしは食べたかった。はちきれるくらいにぼたもちを腹に詰めたかった。わたしはしゃがみ込むと、後ろに身体を傾け、それからばねのように一気に跳び、その瞬間、手で皿を持ち上げ港にとびうつった。すごーい、やるう、かえるみたい、絶賛の嵐だった。わたしは地面に皿を置き、自らもしゃがみ込むと両手でぼたもちをむさぼりはじめた。口のなかいっぱいに広がる甘みはくどくなくて、すいすい飲み込める。ちょっぴり塩を入れて炊いたもち米のほどよく残った粒感と塩っけがあんことの食感の対比をなして食欲に拍車をかける。おいしかった。幸せだった。夢中になって食べていた。だから、周りの子たちが気づけばいなくなっていたのにも、夜がすっかりあたりを染めていたのにも、船食い様が真横にいるのにも気づかなかった。そなた、なにを食っとる。声がしたが、わたしはぼたもちをつかむ手も咀嚼する口もとめなかった。食うのをやめんか。船食い様はわたしの手首をつかんで、押しとどめた。なぜ、食う。これはわしのだ。口に合ったものを飲み込み、船食い様は船を食べるんでしょう、とわたしは言った。だから、わたしが代わりに食べたげる。わしが食うんは夜船じゃ。だから、船でしょ。ちがう、そなたが食ってるそれだ。何言ってんの。つべこべ言わず渡せ。まったく、半分以上食いおって。そなたこれからどうなるかわかっとるのか。知らないけど、おいしいから一緒に食べよ。何故そなたと一緒に食わねばならん。これはわしのじゃ。一緒に食べたらおいしいのに。本当か? 食い気味に、船食い様は言った。よっぽどおいしいものが好きらしい。ぼたもちをひとつ渡して、わたしもひとつとる。ほら、食べよ。うむ。受け取ったぼたもちを一口かじって、わたしを見る。ね、おいしいでしょ。ううむ。唸って、それからうなずいた。それからわたしたちは仲良くぼたもちを食べきった。船食い様はそれから少し話をして帰っていった。ぼたもちは夏に作られると夜船と呼ぶことを教えてくれた。いつもおいしくてうれしくて興奮して船を壊してしまうらしい。あの、男を船に乗せて流した時は本当にびっくりしたそうだ。死体は怖いからもう二度としないでほしいと言われた。わたしは承知した。来年また一緒にぼたもち、いや、夜船を食べる約束をして別れた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?