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農地と資金

農地の確保

農業を始めるためには用地を確保しなければなりません。
近年は耕作放棄や集落崩壊が問題になるなど、野菜や花卉や果樹なら用地の確保は難しくないかもしれません。
養鶏の場合は用地の確保が難航する例が多く、私もその例から外れることが出来ませんでした。

また広島県は、全国に先駆けて集落法人化を進めてきた経緯があります。
農業法人の数で言えば、当時は200位で現在が400以上。
私の就農時は集落に元気があったと言うか、法人化もまだまだこれから。
そんな田舎にUターンしてきた若造が、コメ以外の何かを始めるというので珍しかったのかもしれません。

折しも山口県で70年ぶりの鶏インフルエンザが発生し、メディアの恰好のネタにもなってしまったので、間が悪かったのもあります。
農場予定地は3回ほど変更したでしょうか。
最初は生家の山林、次が生家の田んぼ、次が生家から10キロほど離れた山の中腹にある養豚場跡地。
それぞれの場所で地元から反対運動のような動きをされてしまい、ニオイ、汚水、鳴き声を理由に反対されました。
実際にはバイキン、公害、生活の破壊者くらいの扱いでしたが
「されました」と軽く言っておかないと、一つ一つを思い出しそうです。

開業時に地元から反対される

開業時の苦労は、それなりの規模で始めた方なら珍しい話ではありません。
他の養鶏家の方々は、どうやって乗り越えられたのでしょうか。

私が最も尊敬する養鶏家の方は、ご自分の構想をまとめた冊子を見せてくださいました。
いわゆる事業計画書ですが、構想というよりビジョンといった方が現代的でしょうか、A4判でおよそ50ページ。営業や資金繰りや地域への貢献などの具体性を通して、強い思いと真剣さが伝わってくるものでした。
地元の反対で用地を一度変更された際に、移った先の地主さんがそのあたりを粋に感じられたようです。
地主さんが有力者でいらっしゃったのが幸い、反対派の方々が何も言えなくなってしまいました。

別の方は、反対されている方のお宅へ、夜な夜な一升瓶を抱えて訪問されたそうです。
飲み明かしていると、明け方くらいには応援者に変わるとか。
そうやって一人ひとりと表情が変わる、その変わり様を体験できるのが良いのだそうです。

別の方は、地主さんの同意が得られたものの、その息子さんが反対されていたそうです。
地主さんの同意が得られた瞬間に鶏舎を建ててしまい、既成事実化してしまうという方法。その剛腕ぶりに感心しましたが、用地確保だけでなく営業も地域雇用もドンドン進めて、反対の余地を削っていかれたそうです。

私の事業計画書は11ページ。
そのあたりからして熱量が足りていなかったのかもしれません。

コンサルタントの指導により数字だけは立派

当時の私は、市役所・県庁・JAの職員から、ご近所さんや見知らぬ方まで、周囲全てが敵に見えて愚痴ばかり考えていました。
地域に馴染もうと地元の消防団に入団したり、神楽の舞迫(マイサコ、舞手のこと)をやったり、市会議員選挙のボランティアスタッフをやったりと、それなりの努力はしたつもりですが関係ありませんでした。

鳴石山神祇 赤鬼の悪魔祓い

用地の確保そのものより、人付き合いに疲れてしまったというのが素直な感想です。
事業を始めようというのに、そもそも大切なものが欠けていたのでしょう。

資金の確保

就農に当たり用意した資金は800万円。
これに就農支援金、あるいはスーパーL資金という農業系の資金を2000万円借り入れる予定でした。
資金の申請には、まず認定就農者になる必要があります。
申請書に記載する数字は事業計画書があるので転記するだけですが、行政の書式に合わせるのに手間取りました。
さらにいつもの間の悪さで、当時は平成の大合併の真っ最中。旧町の人事異動から合併連絡協議会、新市の人事異動と続き、大げさでなく3か月に一度担当者が変わりました。県は県で、認定会議がなかなか開催されず、認定取得まで一年くらい要したと思います。
借り入れの申請は就農認定と同時進行ですが、打ち合わせと関係者全体会議をこなさなくてはなりません。
そこで障壁になるのは地元の同意です。
「計画がどれだけ練られていようが、同意書が無ければ資金は貸せない」
が会議でのいつもの結論。
地元説明会と戸別訪問も繰り返しましたが、飛び込み営業と同じくらい心が疲弊します。

借り入れはあきらめて自己資金で開業

結局は最初の予定地だった生家の山林で、当初の計画より規模を縮小して、自己資金で開業しました。
あっちで嫌われ、こっちで追い出され、を見ていた地元の方がようやく同意書に署名して下さいました。

捺印があるため画像を加工しています

反対する方は依然としていらっしゃいましたが、反対するご主人を奥様がなだめて下さる例がほとんどでした。

ヒナと言っても見た目は鶏

視察と研修をし、地域折衝と行政手続きをこなし、鶏舎を建て、飼料を購入し、ヒナを導入して、さあ今日から開業だと思ったその日。
私の口座の残高は18万円でした。
昨今のUターン・Iターン・新規就農に対する行政サポートの手厚さは本当にうらやましい限りです。
それでも、簡単に初めてアッサリ辞めてゆく方がいらっしゃいます。
私に足りないもの、反省すべき点は、当時も今も山ほどあります。
でも、あのときに費やした労力が、事あるごとに自分の支えとなって
励ましてくれていると感じます。




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