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シロガンミ

故郷の部落を出て30年になる。部落には高校がないので寮のある学校に行ったが、あまりの厳しさに飛び出した。しかし家には戻れないためこのアパートをお袋方の祖父が借りてくれた。それから俺は画家を目指し独学ではあるが夢に向かって頑張ってきた。俺が40歳になった時親父から電話が来て、45歳の誕生日までに芽が出なければ故郷に戻るよう強く言われた。お袋が手術をした事もその時初めて聞いた。この言いつけに従わなければ仕送りと物資を送る事を止めるとも言われた。それでは生きていけない。あの家に戻るしかない。働く事を許されていないからだ。親父のように。そして俺は親父の業を継がなければならない。弟が生まれなかったからだ。お袋の婦人系の手術によりその可能性は皆無になったのだった。
故郷は秘境とも呼ばれる場所にあり、俺の家は代々そこの祭事を司っている。部落に伝わる、そこの中でのみ行われる門外不出の秘祭がある。祭の名前はない。祭、としか口にしてはいけない。いずれ親父に変わって俺がその役目をやらなくてはならないのだ。シロガンミという神の役を。シロガンミの由来は他人に絶対に話してはならず、化粧の仕方、叫び方、舌の動かし方等は門外不出の一子相伝とされ、詳細どころか概要、シロガンミという呼び名さえ普段は口にしてはならない。うちの家だけでなく、部落の皆も同じだ。そして俺はまだ親父から何も教わっていない。教わる時期もわからなかったし、というよりも教わるのかどうかすら聞いていなかった。

朝早くお袋から電話があった。親父が亡くなったというのだ。まさか。親父はまだ60代だ。明け方トイレに行って用を足し、尻を拭いて、立ち上がったらそのまま倒れ、息耐えてしまったらしい。お袋は救急車を呼ばなかった。部落の人々にバレてはまずいからだ。言える訳がない、親父から俺へのシロガンミの継承が済んでいないのだから。継承の仕方も聞いていないし継承って何なんだろうと思ったがとにかく親父から俺への代替わりはしなくてはならない。それが継承なのだろう。
そう、そうだ。継承された事にしよう。そうしよう。シロガンミの役を他の家に渡す訳には絶対にいかないのだから。俺の家以外にシロガンミの役をやっていた家があるのかどうか知らないが、この役が無くなったらうちの家は部落から外されてしまう。変わり者しかいない、変わり者の男しか生まれない我が家は、シロガンミの役があるからこそ部落の中で生活をする事が出来るのだ。
部落のきまりで各家庭は毎月祭代と呼ばれるシロガンミの為のお布施をしていて、それがそのまま我が家の収入となる。暮らしは他の家よりも豊かだ。祭事は年に一度10月31日のみに行われるのだが、部落の人々は祭代だけでなく普段から沢山の物を貢いでくれる。野菜や米、酒や甘い物を。月に一度お袋がこの部屋に送ってくれる荷物の中身は、全て貢がれた食べ物だった。
しかし、なぜ親父は60代で亡くなったのだろう。あまりにも早過ぎる。シロガンミの役を得た男は皆長生きをする事になっている。祖父も長生きをした。俺は部落を出てから一度も帰っていないのでお袋に聞いた話だが、大きな病気にもならず家で老衰により亡くなったという。なのに親父はなぜ……。お袋に死因を問うと、あたりを気にするように、とても小さな声でこう言った。
「お父さん昨日町に出たのよ、今年の祭事の準備を始めたら例の絵の具が乾いて固まっちゃってる事に気づいたから。部落の人にそれだけは頼めないじゃない?通販で買うのも送料が馬鹿らしいからって、バスに乗ってね。そこで昼間なのに強引な呼び込みに誘われちゃって、おっぱいパブに入っちゃったらしくてね……。まずい合成のお酒を飲んじゃったらすぐに酔っちゃって、店の子に仕事を聞かれちゃった時少しだけ話しちゃったらしいの。それから慌てて帰宅しちゃって青ざめちゃっていたんだけど何事も無かっちゃったから眠っちゃったのよ。そしてトイレに起きちゃってお尻を拭いちゃって立ち上がっちゃっちゃら……」
「少しでもバラしたら死ぬっていうのマジだったのかよ……親父は一体何言ったんだ……」
「店での詳しい事は、私には言わなちゃったわ。あんたは明日の朝一番で帰ってきちゃいなさい。あんたが帰ってきちゃってからお父さんが亡くなっちゃった事にしちゃうからね、着くまでお父さんの事は完璧に隠しちゃっておくから安心しちゃっていいわ。そして明後日はあんちゃのデビュー日よ!!お父ちゃんの姿を思い出しながら何となく堂々とやっちゃえば大丈夫!!あ、その後は嫁探しもしちゃわないとねえ、もちろん私の家系から選んぢゃうのよ!?ちゃあね」
俺はスマホを握りしめた。あの家を心の底から呪った。泣く事も出来ないお袋。親父の死をしばらく隠さないとならない家。そして俺の嫁はいとこの二人のどちらかになるようだ。そんな事、あるか?今は令和だ。こんな事が今も起こっているなんて。そう、そうだ、そんなんなら辞めたっていいじゃないか!こんな役目!!でも、役目が無くなったら?お袋は部落にいられなくなってしまう。祭代と貢ぎ物が無くなっても生きていけるか?無理だ。シロガンミの家で無くなった、生産性の無い家など部落には必要ない。お袋をここに呼ぶか?呼んでどうする?お袋は、お袋も、働けない。働いた事がない。それはお袋もまた『貢がれたもの』だからだ。そしてシロガンミの家に嫁いだ女は生家に戻ってはならないきまりがある。シロガンミの嫁の家はシロガンミの家の次に豊かになる。部落の人々が気と金を遣うからだ。
結局俺はシロガンミをやらなければならない。弟は生まれなかったのだから俺がやるしかない。なるしかない。俺がシロガンミに。シロガンミが俺に。

俺はシロガンミに、なる。

手が、勝手に、床に散らばった絵の具へ伸びた。その中から白色を取り、顔に手で塗っていく。筆に水をつけ、黒色で薄く眉を描き、鼻筋を描き、目を縁取り、人中を描き、口を裂く。すると舌が勝手に前へと押し出されていく。これは、シロガンミの顔だ。手が、指が勝手にシロガンミの顔を描いていった。体も、誰かに、何かに乗っ取られていくようだ。何だ?誰だ?シロガンミか?シロガンミは神なのか?神とはこういう感じなのか?これはいい感覚か?よくない感覚か?シロガンミはいい者か?悪い者か?白い者か?黒い者か?あまりの感覚に倒れ込む。白い頰がテーブルの上に置きっ放しのスポーツ新聞に触れると、それは見た事のない文字で書かれた分厚い本に変わっていった。まさか、何だこれは、これは夢か?シロガンミの為せる技なのか!?俺はシロガンミになれたのか!?なっているのか!?押し出されたままの舌の根元から、吐くような叫びが飛び出る。
「おっパブなんか行っちゃってペロペロペロペロしちゃってさああああああアァ!!!!」
そう叫んだはずなのに、俺の知っている日本語には聞こえなかった。舌が自分で引くほど前に突き出し、何かおかしな生き物のように前後上下左右にペロペロペロペロしている。そう、そうだ、これがシロガンミの叫びで、シロガンミの舌の動きだ!!俺はシロガンミになれた!!これで俺の生活は安泰だ、画家にはなれなかったがシロガンミにはなれた、お袋の生活も安泰だ、もしかしたらさっきの叫びは俺ではなくお袋の心の叫びだったのかもしれない。お袋はなんだかんだ言っても親父を愛していた。特殊な関係の夫婦だったがいい夫婦だったのだと思う。ああ。俺も嫁がほしい。そう、そうだ。戻ろう。あの家に。俺には居場所があるじゃないか。戻る場所があるんじゃないか。俺には居場所がある。俺には役目もある、なんだ、そうだったのか、今頃気づくなんて、初めから俺は持っていたんだ、ならばすぐにこの部屋を出よう、金はある、金があれば嫁が持てる、しかも俺はシロガンミだ、シロガンミの系統、家系、血を絶やしてはいけない、いとこでも関係ない、嫁が持てる、いとことやれる、女とやれる、あ、ああ、待てよ、そう、そう、そうだ、俺この顔のまま出る訳にはいかないな、シロガンミは部落で10月31日にしかお披露目してはならないからだ、危なかったー!!俺も死ぬとこだった!!ちなみに俺クレンジング持ってないけどこれビオレで落ちるのかな?

出典 #生首ディスコのドレスコード
画像制作 Marionさん

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