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アタシのドア

お葬式の時に笑っちゃう子っているじゃん。
あれアタシ。未だにその癖が直らなくて、今日のばあちゃんのお通夜で笑っちゃったのよ。葬式じゃないんだからまだいいじゃんね。
絶対笑っちゃダメよ、って母から言いつけられていたんだけど、手のひらに爪を突き刺さしても、太ももをつねっても、風にひらひらなびいてたばあちゃんの大きな薄い水色とピンクのイロチのパンツを思い出しても、思い出したからかな、どうしても笑っちゃうんだから仕方ないじゃん。ねえ。
そしたら、アタシを怒った事なんかなかった母がアタシを初めて怒ったのよ。しかも親戚一同や近所の人達の前で。しかも今はお通夜の最中。ばあちゃんのお通夜よ。ばあちゃんにあんなに可愛がられたアタシが怒られて追い出されるなんて。アタシをアタシの部屋に押し込めやがるなんて。
ばあちゃんはアンタの母親じゃないんだから、アンタは悲しくないわよね。アンタだって本当は笑いたかったんでしょう?ホントの意味で笑いたかったのはアンタでしょう。アンタは式の最中ずっと神妙な顔して頭を下げ続けてたけど、あんなん演技じゃんね。仕事柄演技するのはお手の物なのよ。皆を騙せてもアタシは騙されないよ。泣かないアンタが涙を見せたら少しは信じてあげてもいいけどさ!
こんな葬式ゲラなアタシを唯一理解してくれたのはばあちゃんだけだった。ばあちゃん亡き今、世界中に1人もアタシの事を認めて、褒めてくれる人はいない。母は母親の癖にアタシの笑い癖だけじゃなくアタシの存在自体が気にくわないんだ。仕事が長続きしない事、ずっと家にいる事、お手伝いをしない事、偏食がある事、あまりお風呂に入らない事、とにかく何もかも気にくわないんだから。
昨日はお風呂に入れ入れうるさく言われたから頑張って頑張って入ったのよ。なのに褒めるどころか母は慌ただしく動いてて、アタシなんか見てくれやしなかったの。母の頭の中はばあちゃんの事だけ。ばあちゃんの事ばかり。ばあちゃんは、死んだのに。死んだ人の方が大事だなんて!アタシは生きてるのよ!?アタシは頑張ってお風呂にも入ったのに、よ!?ねえ!?
もうさ、もう、そんなんだったら産まなきゃ良かったじゃん。こっちは産んでくれなんて頼んでないじゃん。勝手に産んだんじゃん。勝手に産んだんだからアタシがどうなろうが、どんなアタシであろうが受け入れるのが筋じゃん。償いじゃん。アタシだって笑いたくて笑ってる訳じゃないんだよ。自分でもどうしようもないんだよ。わざとじゃないんだよ。悲しくなるけど、自分でもどうしようもないんだもん。仕方ないじゃん。
アタシの部屋のドアがノックされた。優しいノックの仕方は、母だ。
「これ、食べなさい」
そう言って母は、弔問者さん達が食べるために頼んでおいたお寿司を沢山並べたお皿を置いて行った。母は、やつれて見えた。これも演技かもしれないけど。そう、騙されちゃダメだよ、アタシ。
…あれ?
「飲み物ないじゃん!!何やってんの!?」
「…今、持ってくる。……食べ終わったら、リビング、来る?」
「行かないよ!何よ今更!!体裁気にし始めたって訳!?家族が他にアタシしかいないから!?」
母は答えず、ドアを静かに閉めた。なんだか一気に老けて見えた。
何よ。どうせまた演技でしょ。今までは若作りしてただけじゃん。昼は保険のおばちゃんで夜はスナックで働いて。今は細くて綺麗でも、これから母だって年を取り、ばあちゃんみたいになっていくんだからね。だんだん外見に気を使わなくなり、アタシみたいに太っていくんだから。以前買った喪服が入らないアタシを影で笑ってたんでしょ。慌てて買いに行ってたけど、喪服ではサイズがなくてマツコさんが着るみたいなワンピースなんか買ってきやがってさ!恥ずかしくて表に出られないじゃん。出てないけどさ。

お腹すいたなあ。

って、お箸ないじゃん!!馬鹿なの!?わさびもないじゃん。お醤油もないじゃん。これ嫌味!?意地悪!?いじめ!?母が娘にこんな事してもいい訳!?ありえない。嫌ってるからって、アタシが大好きなお寿司をこんなに沢山並べといて、指くわえて見てろって事!?
アタシはアタシがかわいそう過ぎて、泣けてきた。アタシは笑っちゃいけない場では笑ってしまうけど、よく泣く。悔しくなって、涙が出てしまう。仕方ないじゃん、勝手に涙が出てきちゃうんだから。
また優しいノックの音がして、アタシは顔を背けた。さっきみたいに母を怒鳴る気力はない。疲れているんだろうな。まあ、そりゃ、疲れてるよね。ばあちゃん死んだんだからね。いきなり沢山の人が家に来るし。着替えなくちゃならないし。沢山の人がいる場所に行かなくちゃいけなかったし。アンタは忙しくしていたから何も気づかなかっただろうけどね。一人娘のアタシに気を回せないくらい、アンタはバタバタしてたからね。
母はアタシの方を見ないまま、しかも何も言わないまま、お盆をテーブルの上に置いて出て行ってしまった。何なの、と思ったけどドアが閉まるのを確認した瞬間アタシはテーブルにかぶりついた。アタシの大好きなコーラ、割り箸、わさびとお醤油が入った小皿、ウエットティッシュ、そしてこれも私が大好きな冷やしたエンゼルパイがお盆の上に並べられていた。
アタシは勢い良く箸を割り、わさびを醤油に溶かし、お寿司にたっぷりつけて口に放り込む。
「!!」
辛い!!わさび多過ぎだから!!何やってんのよ、アタシのわさびの適量わかってる癖に!!アタシは盛大にむせた。お米が口から飛び出した。苦しい。一気に食べたからだ。いつもそうだ。ばあちゃんが、そして母が、ゆっくり食べなさい、沢山食べていいから、ゆっくりね、と言ってくれなかったからじゃん。だからアタシがこんな目に合うんじゃ

…ばあちゃんは死んだから、もう言ってくれないのか…。

アタシは、また、泣いた。本当に、ばあちゃんが、死んでしまった。アタシを褒めてくれる人は、もういない。アタシがむせるのを予防してくれる人も…予防してくれる人は…母だけだ。
コーラのグラスには氷が入っていた。いつもはばあちゃんがやってくれるけど、ばあちゃんは死んでるから、こうしてくれたのは母だ。エンゼルパイを出してくれたのも、母だ。アタシはデザートがないとキレてしまう。キレたくないのに。
母は普段から忙しくて、夜ご飯しか一緒に食べられない。母の朝は早くて、アタシは昼前まで寝ているから、会えるのも夜だけ。母は夜ご飯を食べた後、また仕事に行く。
それは、アタシが仕事をしていないから。アタシが沢山食べるから。アタシに一度暴力を振るった父と別れてから、アタシと、ばあちゃんを食べさせる為に母は働き続けている。ばあちゃんは年金をもらっているけど、そのお金はアタシのお小遣いとアタシのデザートに消えてしまう。

そうだ。

ばあちゃんが死んじゃったら、年金入らないじゃん。アタシのお小遣い、アタシのデザート、どうするの!?母の稼ぎだけじゃ足りないじゃん!!しかもお通夜やお葬式で仕事休んでるじゃん!!お金入らないじゃん!!どうしよう。どうしよう。どうしよう!!どうしてくれんのよ!!
キレたくても、ばあちゃんはいない。母もこの部屋にはいない。こんなに不安なのに、可愛い孫を、可愛いはずの娘を1人にして、それで済むと思ってんの!?

はあ。お腹すいた。

お醤油をたっぷりつけて、まだまだ沢山あるお寿司を口に放り込んだ。
「!!」
むせた。また口からお米が飛び出した。痛い!!痛い!!何なのよもう!!お寿司までアタシを馬鹿にしてんの!?アタシが太ってるから!?仕事してないから!?ヒッキーでニートだから!?今年40だから!?わかってる!!そんなのアタシが一番わかってんのよ!!!!
アタシは泣いていた。泣きながらお寿司を食べ、またむせて、しまいには鼻からお米が飛び出した。それが思いもよらず遠くに飛んだので、アタシは泣きながら笑っちゃったのよ。笑い声は止まらず、どんどん大きくなったわ。仕方ないじゃん、止まらないんだから。わざとじゃないんだから。お通夜だし。
明日のお葬式には父も来るかな。ばあちゃんは父の母だからね。そうだ。離婚で苗字が変わるのは嫌だと泣いて泣いてきかないアタシを、母とばあちゃんが相談して、ばあちゃんの養女にしてくれたんだった。ごめんね、パパとママは離婚するしかないけど、苗字だけは変わらないままにするからね、ってママ…母は言ってくれた。父は離婚するなら母にこの家を出てけと怒鳴ったらしいんだけど、ばあちゃんが父の方を追い出したの。実の母なのに、息子になんて事をするんだとアタシは思ったの、でも父はアタシの事を好きじゃなかったから、どこかほっとしたのね。ばあちゃんは母を追い出す事はせず、あれから三人で暮らしてきたのよ。でもばあちゃんと母は仲がいい訳じゃないのね。いつも暗い感じ。だから我が家は普段笑い声がしない。笑いはたまにあるけど、笑い声は、アタシがやっちゃいけない時にやっちゃう笑い声だけ。それが原因で今アタシはばあちゃんの通夜の日に祭壇があるリビングじゃなくアタシの部屋に閉じ込められてるんだけどね。何なの。

そうだ。父といえば。

アタシは父の苗字が大好きなの。父というか、ばあちゃんの苗字ね。如月っていうのよ!母の旧姓は山田。山田さんは何も悪くないけど、山田より如月の方がやっぱりいいじゃん!ねえ!!
と、勢いよく顔を上げたアタシの横を何かがよぎった。
ばあちゃん!?ばあちゃんの霊!?やっぱり心配で来てくれたの!?

そこには誰もいなかった。鏡があるだけだった。顔を上げた時、髪の毛がふぁさっとなったのが鏡に映ったのかな。腰まであるからね。髪の毛もばあちゃんが切ってくれてたからね。これから本当にどうしよう…。
鏡を見て途方に暮れる。そして気づいた。そこに映っているのは、そこにいたのは、腰まで髪がある、太っている、マツコさんが着ているようなワンピースを被っている、40歳の、如月麗華だった。

アタシは笑い出した。如月麗華だって!!これが!!これで!?山田の方がまだマシだったじゃん、でもその前に麗華って!!この顔で!!この体で!!笑いが止まらないよ、涙も止まらないよ、仕方ないじゃん、わざとじゃないんだからさ!!
バタバタという足音がする。母の足音だ。走っている。この部屋に来る。体裁を気にしてるのかな。心配なんだろうな。娘がとうとう狂ってしまったのか、って。ふいに母の源氏名を思い出したよ。本名は山田優子だけど、源氏名は如月優華だ。母がスナックで働き始めたのは父と離婚してからなの。麗華と、優華。母は、母なりに、アタシを愛してくれているのかなと思ったら、また涙が出て来るよ。でも、笑いも、止まらないよ。癖なんだから仕方ないじゃん。ねえ。
優しいノックの音がして、アタシの部屋のドアが開いたら、母にこう言おう。笑いながらだから、伝わるかわからないけど。アタシに出来そうな事はこれしかないから。密かに、ずっと、ずうっと考えていた事なの。夢。アタシの夢なの。それをついに現実にする時が来たのよ。

未来という名の、アタシのドアが開く。

「アタシ、大食いYouTuberになる!記念すべき初回はエンゼルパイだよ!!」

泣き崩れる母が見えたの。

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赤片亜美
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