三面鏡
すっかり娘の物となった三面鏡をテーブルに置く。
去年百均で買った。白くて、大きくて、下の部分がトレイになっている鏡。
わたしのお気に入りだった。
最初から二つ買っておけば良かったのだ。こうなる事はわかっていたのだから。
でもこれは百円ではなく五百円商品で。わたしが買ってもまだ二つ残っていたからまた買いに来ればいいやと思ったし、いちいち買う物をチェックする夫から『なんで二つ買うの!?二人で使えばいいじゃん!!』と責められるのは目に見えていたので一つだけにしてしまった。
次の日行ったらもうなかった。店員さんに聞いたら、売れ行きが凄くて注文は出来ないと言われてしまった。
わたしはバカだ。
『いいなあー。いいなあー。これ愛夢(あむ)にちょうだい?』と娘がいつものように甘い声で、首を傾げ、上目遣いをしながら言ってきても、『あげればいいじゃん。おまえ鏡たくさん持ってんだし。第一鏡見る事あんの?もうずっと化粧なんかしてないじゃん。宝の持ち腐れだよ。どうせ使わないんだから。毎日鏡ばっか見てメイクや前髪研究してる愛夢に使われた方がこの鏡も幸せだし、若い子映した方が楽しいだろ!!』と夫から言われても、手放すべきじゃなかった。
わたしは胸が詰まるあの感じを認めたくなくて、鼻の奥がつーんとなるのを阻止したくて、努めて明るく『じゃあ、貸すね』と答えたのだけど、
『貸すね」だって!!(笑)』『あがくなあがくな、普通に「あげるよ」って言えばいいじゃん!!(笑)』と、二人は嘲笑いながらとても楽しそうに身を寄せ合っていたのだった。
トレイには娘のヘアピン、ネックレス、二重テープ、切った前髪と埃が乗っている。何度整理して何度拭いても毎日ぐちゃぐちゃになる。
鏡を開けば、今日も埃と指紋と化粧品やヘアケア製品などの液体が付いている。
ウェットティッシュで丁寧に拭き、その後ティッシュで乾拭きをし、鏡はもう一度磨くように拭く。毎日これをやっている。日々繰り返している。
わたしは何をやっているのだろう。
五百円では買えないにしても、通販で同じような三面鏡を注文すればいい話だ。Amazonなら明日には家に届く。白だってあるはず。
でもこの三面鏡は使いやすい。見やすい。トレイも付いているし。新しい物を買ってもきっとこの鏡が一番使いやすいだろう事はわかる。わかっている。
そして一番わかっているのは、わたしが新しくこれより高い三面鏡を手に入れたら、彼女はまた『いいなあー。いいなあー。これ愛夢にちょうだい?』と甘い声で、首を傾げ、上目遣いをしながら言ってくる事と、
拒んだら『なんで!?なんで!?いいじゃん!!くれたって!!お母さん(お姉ちゃん)でしょ??娘(妹)が欲しがってるのにくれないの!?安いのに??どうせ安物なのに??ケチだー!!うちのお母さん(お姉ちゃん)ケチだ!!娘(妹)がこんなに頼んでるのにくれないんだ!!』と、まわりに、家族に、親に聞こえるように騒ぎ、喚く事だ。
そして夫(父)が『おまえ、娘(妹)が可愛くないの!?いいよいいよ俺が買ってやるから。こんなんほっといて行こ!!』と言い、
『あんたお姉ちゃんでしょ!?あんたに妹の面倒任せてんのに、なんでこれぐらいの事で意地になるの!?ほら、またお父さんとあの子だけで出てっちゃったじゃない!!あんたのせいよ!!あんたのせいでうち(夫婦)(家族)はうまくいかないのよ!!あんたなんか産まなければ良かった!!!!』と叫び、わたしを叩く母がいた事だ。
そう、わたしには、母がいた。
父もいた。
実家には高校卒業以来一度も帰っていない。
わたしには妹がいた。
わたしの彼氏を何人も奪い、婚約者までも奪った女。それでもまだ両親は、未だに、妹を溺愛しているのだろう。溺愛と愛は違う物であっても、わたしも溺れてみたかった。
安心出来る男性に出会い、愛するという事を知り、愛される事も少しずつだが経験してゆき、わたしは夫と結婚した。本当に、幸せだった。
娘を産むまでは。
いや、今でも幸せだ。夫はわたしの事も愛してくれているし、娘だって生意気だけれど、そしてなかなか面倒で手強くはあるけれど、やはり可愛い物だ。
ただ。
声も、顔も、髪質も、性格も、
あまりにも妹に似ていて。
わたしが妹を産んだのかと思うほどに。
妹は、
もういないのに。
最後に、彼女は、こう言っていた。
『お姉ちゃんの、二重が、死ぬほど羨ましかった…』
わたしの腕の中で。
三面鏡の奥から誰かがこちらを上目遣いで見ている気がした。妹(奴)ならやりかねない。
やっぱり、これ、娘(妹)(奴)に、あげよっと。