鎖の椅子
僕は鎖から手を離して飛んだ。
落ちた先は雲の上ではなく土の上だった。スペオキ脱走の危機と勘違いした奴が走って来る。エゾヒグマ『袈裟懸け』のように両手をあげた奴の足を引っ掛けたら巨体は倒れた。やってみたら簡単な事だった。
脱走する気はなかった。ずっとそうしたかったけれどもうしなくてよくなった。僕はただこの高い椅子に自分で乗りたかったのだ。やってみたら簡単な事だった。立ち漕ぎをする事も。鎖から手を離して飛ぶ事さえも。
僕は僕が乗っていた椅子の横の吊り輪に奴の両手をねじ込み腹の下に隠れたバックルを外してベルトを引き抜いた。鞭打ちは公認者だけが使える祓魔のわざだが奴は施設長という名を盾に僕や魂の兄弟達の尻をベルトで打つ。『打ち込み』と呼ばれる行為にはねじ込みと打ち付けも含まれる。
奴のスペオキである僕がなぜこんな事をしたのか。それは今朝の事だった。打ち込みを終えた者だけが使用を許可される施設長専用風呂へ足を踏み入れた僕はボディソープの横に置かれた赤い筒を見て我を失った。気づけば自分の尻とベルトと裸のままいびきをかく奴の写メを告解メールに張り付け本部へと送っていた。
返信は届いた。祈りが通じた。と、思った。
『汝、これより我が教団の公認エクソシストとす。祓魔のわざで悪霊を滅せよ。警察や児相への連絡は禁忌。貴方に神の御加護のあらん事を。コンプライアンス部部長 ○○○○』
「『私を本当の父だと思いなさい』と幼き我に言いたもうた、三人のお父さまのうちの一人である者に巣食う悪霊よ!出て来い!!」
「俺は!!職員全員からやられてたんだよ!!お前なんかまだ全然マシだろ!?」
「されて嫌だった事を他人にすんな!!僕らにあんな事しといて更に道具使ってイクとかありえん、僕だってずっとTENGA欲しかったのに!!悪霊、退散!!!!」
尻にバックルをぶち当てられた奴は一瞬で達した。え?Sじゃなかったの?逆もイケんの!?しかもイクの今日2回目だよ!?いやー失敗した。こんなんでこいつが聖人になる訳なかったわ。職員さんが動画撮ってくれてるんだけどどう編集しようかな。あ、でもこれって見様によっては成功なんじゃね?脅しのネタにもなるから打ち込みも出来なくなるし。僕が阻止するし。本気で奴に打ち込まれたい子なんていないんだし。よっしゃ奴の祓魔成功!!いやっほう!!ほんと何が『お父さま』だよ!!そういえば僕あと二人のお父さまに会った事ないんだよなあ。あのアマも会いに来ないし。僕をだっこしてこの椅子に乗せてくれたあの日から一度も。背中を押していた手はいつのまにか遠ざかり、降りられなくて、怖くて、僕は泣いた。そこへ走って来てくれたのがお父さまだった。
「バイク便でーす!!お荷物お届けに来ましたー!!」
もし、もしこの先あのママがここに来たら僕はまた悪霊を祓わなくてはならないだろう。打ち込むのはお父さまのベルトではなくこの椅子に繋がる鎖だ。僕は『エクソシスト』なのだから。エクソシストの名と存在価値を僕は得た。作ったんだ、自分の居場所を。僕が居てもいい場所を。誰も与えてくれなかったから。
僕は『捨て子』でも『施設の子』でもない。まして『スペオキ』なんかじゃない、お父さまが好きなのは僕の顔と体と若さだ。いつか飽きられ捨てられる。その時僕の居場所はない。ママも僕を好きじゃないから戻る場所がどこにもない。
アマ、いやママ、今日から僕はエクソシストです。ディプロマも届きます。わざわざこんなとこに捨てたんだから褒めてくれるよね?ママ。僕のママ。たった一人の。
「エクソシストさんって中にいますかね?」
「あっはい!!僕です!!僕がエクソシストです!!」
【エクソシストとなった少年はみ使いからの書を受け取った。A4サイズの封筒を両手で持ち、あの椅子へと目を向ける。少年がそうする時、その目からは涙が流れていた。それを誰にも気づかれぬよう拭う姿を、ずっと、神だけが見ていた。】
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