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東京学生映画祭

東京学生映画祭の短編部門の審査員をして来ました。

渋谷のユーロライブに行き、ポレポレ東中野の大槻貴宏さんと2人で、短編部門の審査を任されました。「それではお願いします。」と言って、事務局の学生はいなくなり、私と大槻さんの2人だけで、いろいろ話が脱線しながらも決めていったのですが、「審査の過程」って一番面白いのに、学生が聞いてないなんてもったいないとも思いました。

私だったら、意味もなくその場に座って聞いていると思います。「出ていって下さい。」と言われない限り。だって、そこには「いい映画を作るヒント」が転がっていると思うからです。いやらしい言い方をすると「映画祭で勝てるヒント」と言いますか。だって、まさにそこで色んな理由を述べられながらも、勝ち残る作品があるわけですから。

「勝つ映画」なんて言い方すると、大先輩から、大後輩まで、みんなに怒られてしまいますが、「賞」がある限り仕方ありません。カンヌ映画祭だって、アカデミー賞だって、勝つ映画がありますし。

「えっ!そんな理由であの作品が落とされるんですか!」とか「いい作品が受賞するんじゃないんですか!」とか、審査過程は本当に面白いものです。そして、なんて残酷なんだろうとも思います。ノミネートという本当に誇らしい場に来れたのに、この仕打ちは何なんだと思います。私も映画祭によくエントリーしてますので、その気持ちは痛いほどわかります。

大きな映画祭にノミネートされれば「日本代表だぜ!」ぐらいに思い、意気揚々と参加しますが、何も受賞しないと「敗戦」した気分で帰ってきます。でも、敗戦が続くと慣れてしまうものですね。今では「楽しい旅行だった〜」ぐらいな気持ちで帰って来れます。「敗戦ボケ」ですね。

そして、審査の結果、グランプリは、橋本根大監督の『東京少女』に決まりました。『東京少女』は、いわゆる映画の作りではなく、実験映画と言われているものに近いと思います。女の子のモノローグに、膨大なカットを積み重ねて構成された作品です。この手の作品は、独りよがりのポエムになりがちで、フォーマットは面白いけどそれだけ、みたいになってしまう傾向がありますが、モノローグの内容がすごく頭に入ってきましたし、何よりも「監督が楽しそうに作ってるんだろうな〜」というのがすごく伝わってきました。

「え?そんな理由でグランプリかよ〜!」と思われるかも知れませんが、賞というのは、相対的なものだから、運というか、めぐり合わせというか、そういうものが大きく作用するんですよね。もちろん「総合的に一番良い」と思わせた作品だからでもありますが。

仮に『東京少女』みたいな作品が何本かあったら、『東京少女』が目立つことはなく、受賞しなかったかも知れません。そして、私と大槻さんが審査員じゃなかったら、他の作品が賞を獲っていた可能性も高いです。7本の作品はどれもレベルが高く、ダーツで決めてもいいぐらいでしたから。

そして準グランプリは、しょーた監督の『がんばれ!よんぺーくん』に。コロコロコミックみたいな世界観のアニメーション作品なんですが、パロディで終わらずに、どんどん展開していく驚きの多い作品でした。やはり作品を作る上で「驚き」をどう作るかという意識はすごく大事なんだと思います。作品を見たあとに監督を見たら、「よんぺーくんいるよ!」と思いました。監督も「濃いキャラ」ですね。

他の5本もとてもいい作品でしたので上映順に。

『愚か者、HINAのためのセレナーデ』(塩川孝良監督)は、女子高生2人の物語なんですが、映像の解像度がすごく高く感じました。私、高解像度が好きなんで、その「解像度高い感」に惹き込まれました。私はよく思うのですが、「画質が良い」って、かなり作品の重要な要素だと思うんです。特に審査員が監督とかの場合、画質が悪いとアウトだと思います。普段、ミリ単位、ナノ単位で画質の調整をしていますから、画質が悪い作品は生理的に受け付けないんです。あ、画質の話ばかりになってしまいましたが、主演の早乙女ゆうさんの佇まいも良かったですし、衝撃のラストも凄かったです。

『何度でも忘れよう』(しばたたかひろ監督)は、とてもシュールでダークなアニメーション作品で、私の好きなタイプの作品でした。上映後のトークセッションで監督が、意味の無いシーンを入れたという話をしていて、すごく共感しました。私はそういう化学反応系の作りがすごく好きで、自分の作品でもやりますので。化学反応をわかりやすく例えると、「道に落ちているバナナの皮の写真」と「歩いてくる人の写真」を2枚並べて置いておくと、見た人は頭の中で「バナナの皮で人が滑る」を想像すると言いますか。

『くじらの湯』(キヤマミズキ監督)は、こってりとしたアニメーションでした。もう完成度がすごく高くて、アニメーションの手法と内容もピッタリ合っていました。作家性が色濃く出ていた作品でもありました。何と言いますか「審査させて頂くなんておこがましい」とすら思ってしまう佇まいがありました。

『ティッシュ配りの女の子』(渡邉安悟監督)は、7本の中では一番ストレートな実写作品でした。渋谷TSUTAYA賞を受賞した作品です。男がみんなダメに描かれてて良かったです。表現の世界で、男をダメに描く流れはしばらく止められないでしょう。この作品は東京芸術大学の大学院の作品で、やはりレベルはとても高かったです。私もいつか東京芸術大学の大学院に行って映画を勉強したいなと思ってます。

『Fiction』(北川未来監督)は、観客賞に選ばれた作品です。この作品はシナリオがコンセプチュアルで、欧米の短編映画の様な作品でした。例えば、ショートショートフィルムフェスティバル&アジアの、インターナショナルコンペ部門で上映されている様な作品といいますか。感情に訴える作品ではなく、知的な作りを楽しむ映画で、すごく良かったです。私もこういう作品を作りたいなといつも思っています。日本人監督の作品は、身近なモチーフをエモーショナルに描く作品が多いので、日本を舞台にコンセプチュアルな構造で作品を作ったら、割と目立つ作品が出来る気がしました。特に短編映画として。末恐ろしい。あ、授賞式の時に「北川みらい監督」って言ってしまってすみませんでした。「北川みく監督」でしたね。

今回、7本の作品の審査をしたのですが、ストレートな実写映画から、作家性の強いアニメーション作品まで混ざっていて、相対化するのがすごく難しかったです。とはいえ「賞」を決めなければならないので、相対化するしかありません。

アニメーションは、嫌でも作家性が出てしまう手法だと思いますので「作品」という佇まいが出やすく、一方で実写の作品は関わる人も多く、アニメーションの様にストレートに作家性が出しづらい手法だと思います。実写作品で、アニメーション作品の様な作家性が出せたら、すごく強い作品になるんだろうなとも思いますが、かなり特殊な作品になる気もします。実写映画でここをガンガンに攻めていく監督が出てきたら面白いなと思います。

私は審査員などと言って審査してますが、私も普通に映画祭にエントリーしている監督の1人です。当たり前のように、ノミネートすらされないこともたくさんあります。国内の映画祭だって普通に落ちてます。いまだにです。だから、審査をしつつも「勝つ作品」って、こうやって決まっていくんだよなと、自分がしている審査の過程を分析したりもしています。

私は短編映画を映画祭にエントリーするようになって20年ぐらい経ちますが、「良い映画」と「勝てる映画」は違う気がしています。あんまり映画の話で、「勝つ」とか「負ける」とか言うと、大先輩から、大後輩まで、みんなに怒られ、軽蔑され、魂を売ったヤツ、映画界の片隅にも置けないヤツ、売映画奴と言われてしまうのですが、事実としてあるからしょうがないんです。

そして恐ろしいのは、私が出会ってきたヨーロッパの監督達は「勝てる作品」を作っています。短編映画の話ではありますが。「いい作品を作れば、神様がご覧になっていて、素晴らしい場にお導きして頂ける。」とは思ってないんです。「努力は報われる。一生懸命頑張ったから、必ず誰かが見ていてくれて、私を引き上げてくれる。」じゃないんです。自分の足でその場に行くんです。恐ろしいですね。震えますね。

悪い言い方をすると、武装して映画祭に乗り込んで来ています。私なんかはハワイに行く格好で映画祭に行っている様なものです。何ならサングラスを頭の上に乗っけて、かき氷ザクザクさせて「えっ?」と言ってますよ。そのぐらい違います。

だから、勝ちに行った作品が勝つんですね。韓国の短編映画はかなり強いし、東南アジアの作品もどんどん強くなっています。もしかしたら「勝つ」事で監督やスタッフの人生が大きく変わるから、勝ちにこだわるのかも知れません。一躍大スターにもなれるのかも知れません。

そういう意味では、「短編映画で三大映画祭に行った」とかいうキャッチフレーズでやっている私が、だからと言って日本でパッとしてない事が、若者の希望を無くさせてしまっている可能性も大いにありますね。若者の短編離れを加速させる一因になってますね。いやそうですね。絶対そうに違いない。そうだそうだ。私の責任ですね。

ちょっと磯丸水産行って来ます…

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平林勇
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