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心の声がやかましい【駅のホーム】

ここに出てくる登場人物はひと言も声を発しません。このドラマはすべて登場人物の"心の声"だけで構成されています。沈黙の裏には豊かでやかましい心の声があるのです。

【登場人物】
・大石理乃(28)NPO法人社員
・権堂利夫(55)会社員
・五木基之(22)大学生

午前11時半。田園都市線の駅のホーム。朝のラッシュが信じられないぐらいの人の少なさ。大石理乃(28)と権堂利夫(55)がベンチに座っている。

大石・・・(微妙に遅れてんだな地下鉄。遅れ方が微妙なんだよ。思いっきり遅れるならトイレ行くんだけど、もうすぐ来るっぽいから、ちょっと我慢して、降りる駅でトイレに行く作戦。今日最初のウンコだからそんなに我慢は出来ないはず。てか、なんで一番最初のウンコって我慢が出来ないんだろうね?大腸で水分が吸収されて先端が固いウンコ。あいつら、突破力あるんだよ。一度出たくなるとマジでヤバい。)

権堂・・・(この駅のホームにいるヤツら。このベンチに座っているヤツら。オレのすぐ隣にいるこの女ですら、まさかオレが宝くじが当たった人間だとは思っていないだろう。平然と何食わぬ顔で駅のホームに座ってるからね。どうせオレのことなんか、しがないどこかの会社員としか思ってないんだろうが、オレは宝くじが当たった男なんだ。ついさっき当たったんだ。まさかそんな男がキミたちの近くにいるとは思わないだろう。)

大石・・・(私さ、ちょっと丁寧な暮らししてるっぽい見た目じゃん?なんか、オシャレな家具の記事書くライターっぽいじゃん?家具とか、新しい農業とか、発酵食品についての記事とか書きそうじゃん?見た目が。そんな私がまさか今ウンコを我慢してるとは誰も思ってないよね?隣りに座ってるこのオッサンですら分かってないんだよ。てか、こういうオッサンってベンチに座って何考えてんのかね?ドブネズミ色のスーツ着てさ。)

権堂・・・(この隣の女はオレみたいなオッサンを見下しているだろう。オレはショートカットでオシャレぶった女は苦手なんだ。どうせ渋谷を過ぎて表参道で降りるんだろう。ちょっと見た目がイイからって、ちっちゃい会社の社長に気に入られて、適当にオシャレぶってやってんだろう。そうだ。そうに違いない。だがな、オレは宝くじが当たった男なんだよ。しかもついさっきな。まさか隣にそんな男が座ってるとは1mmも思ってないだろうな、この女は。)

大石・・・(やばい。だいぶウンコが降りてきた感がある。水分が抜かれた先端のあいつが本気だすとヤベえんだ。早く地下鉄来い。いや、この駅でトイレに行くべきなのか?もし地下鉄に乗って、何らかのトラブルで止まっちゃったらアウトだ。私はウンコを漏らすだろう。てか私、今まで電車の中でウンコ漏らした人見たこと無いんだけど、どういうことなの?たまにウンコを漏らしてる人がいるぐらいの寛容さがあれば、私だってこんなにああだこうだって考えないんだけど。)

権堂・・・(今日は心に余裕がある。宝くじに当たるとはそういう事だ。隣のこの女は好きじゃないが、今日ぐらいは許してやろう。オレの事をその他大勢認定しているだろうが、残念ながら今日は違うんだよお嬢ちゃん。宝くじが当たってしまった男なんだ。ビックリするぞ。800万円当たってしまったんだ、さっきな。ついさっきスクラッチで800万円が当たってしまったんだよ。まさかそんな男が隣に座ってるとは思わないだろ?)

大石・・・(仮に電車の中でウンコを漏らしたとして、仮に固いウンコを漏らしたとすると、パンツの中に収まる可能性は高いんじゃないか?固形に近いから漏れてくることも無い。今のこの感じ、この便意は間違いなく固いヤツなんだ。下痢の時は分かる。いや待てよ、固いとパンツの中に収まると言いつつも、固すぎるとパンツの隙間を突破しやしないか?先端が固形になったウンコが勢いよく出てきた場合、パンツの面にぶつかって方向を変えて、パンツの隙間から出てきやしないか?そうなると、最悪はジーンズの裾からウンコが落ちてくる事になるのか?いや、このジーンズはふくらはぎのところが絞られているから、そこで止まるに違いない。膝の裏辺りにウンコが留まるはずなんだ。)

権堂・・・(おーい。オレは宝くじが当たった男だぞ〜。800万円当たった男だぞ〜。このオシャレ腐った女に言いたい。言ってやりたい。このウンコもしなさそうな顔をした女に言ってやりたい。オレがそこら辺にいるしょぼくれたオッサンではない事を言ってやりたい。800万円を手に入れた男だと言ってやりたい。800万円だぞ?給料の3年分だぞ?そんな男が隣に座ってるんだぞ?)

大石・・・(カウントダウンが始まった気がする。もう一段下がった気がするぞ。もはや強行突破は無理か?先手先手で動いていかないと、この駅のトイレにすらたどり着けなくなる。え?このホームでウンコを漏らす可能性もあるってこと?ヤバいじゃん。最悪膝の裏で止まるとしてもよ、上手く歩けないし臭いでバレるだろうな。いやいや、膝の裏にウンコがある状態で歩いたら、膝とジーンズに挟まれたウンコが、裾から押し出されやしないか?せっかく膝で止まったウンコをなぜわざわざ押し出す必要があるのか?)

アタッシュケースを持った五木基之(22)が同じベンチに座る。

五木・・・(このホームにいるヤツらやすぐ隣りにいるヤツら、まさかオレが爆弾持ってるとは思ってないよね?まさかこの汚いアタッシュケースがこれから爆発すると思ってないよね?いや、もしかしたら、なんだけどね。爆発させるかどうかはオレが決める。この何にも考えてないバカどもをオレが殺す。どうせ頭の中は真っ白だろ。ボーッとした顔して。オレが革命を起こす。愚民たちをオレが殺す。)

権堂・・・(何だこの土偶みたいな顔したやつ。いや土偶じゃないわ。埴輪だわ。オマエもまさかオレが800万円持ってるとは思ってないだろうな。成功者の隣に座れて光栄だと思いなさいよ。ホレ、成功者の吐いた二酸化炭素を吸いたまえ。)

五木・・・(アタッシュケースの持ち手に起動ボタンがあるからな。ここを押したらすぐに爆発する。工夫したんだ。時限爆弾ではなく、いまここ、という瞬間に爆発させられるんだ。工夫したんだよ。そして、爆発後の惨劇を見てオレはほくそ笑むんだ。オレのこの世界への復讐だ。いやしかし、このドブネズミ色のオッサンなんて殺してもしょうがないんだ。てか、全然ガラガラじゃん。事件になのるか?)

大石・・・(方針は決まった。作戦変更で行こう。もうこの駅でウンコする。でもちょっと遅かったらしい。ちょっとでも動くと一気に出そうになる。先手先手と考えていたけど、そのさらに先手で考えなければダメだったとは。人生もまた同じだな。いま来た隣の若いヤツ、貧乏ゆすりやめろ。その小さな揺れが私の大腸と肛門を揺らすんだ。)

五木・・・(てか、この起動ボタン押したら、オレも死ぬ?ほくそ笑めなくない?うわ!だから歴代の爆破事件は時限爆弾が多いんだ!いま気づいた!ダメじゃん!この工夫ダメじゃん!長い時間をかけて受け継がれてきたものには理由があるのな〜。やり直そう。)

駅の改札に向かう五木だが、つまずいて起動ボタンを押してしまう。アタッシュケースの中からペチン!という音がする。ホームに立ってスマホを見ている人にチラ見される。

地下鉄がやって来る。咳払いをして乗り込む権堂。

そっとベンチを立ち、ゆっくりトイレに向かう大石。

反対側のホームを急行電車が通り過ぎ、強い風が吹き抜ける。

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