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心の声がやかましい【樹海】

ここに出てくる登場人物はひと言も声を発しません。このドラマはすべて登場人物の"心の声"だけで構成されています。沈黙の裏には、豊かでやかましい心の声があるのです。

【登場人物】
瓦林智則(48)会社員
二籐悟(50)会社員

富士山麓の青木ヶ原樹海の中。木漏れ陽が差し、美しい風景ではあるが、遠くから聞こえる得体の知れない生き物の鳴き声が不気味でもある。

苔むした倒木をぎこちなく乗り越えて歩く瓦林智則(48)。

瓦林・・・(自殺の名所のはずなんだけど、あっちに人がいるんだよな。あの人ってこの辺の見回りの人?チラチラこっち見てるんだけど。すげーやりずらい。まだやんないけど。まだやんないって言うか、オレやるのかね?勢いに任せてここに来ちゃったけどさ。しかもかなり歩いて来ちゃったからね。もう戻れないと思うんだけど、あそこに人がいるからさ。ビックリしたよ。あれが見回りの人だったら、帰り道知ってるってことなんだよ。どうするオレ?)

切り株に座っている二籐悟(50)。水筒のフタでコーヒーを飲んでる。

二籐・・・(あの人、自殺しに来たのかな?初心者っぽいね。何かこっちチラチラ見てるけど、助けて欲しいのかな?いや、オレこんな派手な格好してるけどレンジャーじゃないからさ。オレもいろいろ嫌になって樹海に入って来た組だよ。しかもオレの場合、7回目だからね。まあまあここで生き延びる方法知っちゃってるからさ。簡単には死ねないんだよね。)

瓦林・・・(やっぱ人がいるとすげー気になる。人に見られてたら死ねないわ。なんか腹立つ。見るなってこっち。いや、助けたいならちゃんと話かけに来いっての。そういうの良くないぞ。態度で示すんだよ。自分がどうしたいのかを。まったく。ちょっとあっち行こう。)

歩く向きを変える瓦林。

二籐・・・(あ、移動した。オレが見てるの気になったかな?そりゃ気になるよな。そっか。あんまり見るのやめよう。やりずらいよね。つかあの人、手ぶらだけどどうやって死ぬつもりなのかね?いやいや、ここが二度と出られない樹海だからって、餓死はツラいぞ。餓死は無いでしょ〜。あと、笑えるんだけど、意外と2〜3日さまよってると道に出ちゃうんだよ。道に出た瞬間に現実に引き戻されて死ぬ気が失せる。オレもそのパターンだったな。)

瓦林・・・(あれ?財布落とした?やべえ。財布落としてんじゃん。え?いつ?うわ!絶対見つかんないでしょ!そんでもって、誰も警察に届けてくれないでしょ!ここじゃ無理でしょ!うわ最悪!Suicaにまだ3000円ぐらい入ってたんだよな。いやマジで死にたくなって来た。え?さっきまであったよね?どうだっけ?財布が邪魔で座りづれねえなって思ったよねさっき。その辺に落ちてるのかな?うわ最悪…)

財布を探し始める瓦林。

二籐・・・(人のことはいいとして、オレは今回どうするんだって話なんだよ。すっげー死ねる気がしないんだよね。いろいろ持って来ちゃってるし。装備。7回目ともなるとさ、何がツラいかって分かってっから。羊羹持って来ちゃってるからね。羊羹のエネルギーは半端ないよ。羊羹って、あれ核融合してると思うんだよね。それぐらいエネルギー量が半端ない。オレだったら忠告するね。羊羹持って樹海に入るなって。羊羹あったら死ねないんだよ。)

フタにコーヒーのおかわりを入れる二籐。

財布を拾う瓦林

瓦林・・・(あんじゃん。落ちてんじゃん。あれ?1000円札が1枚減ってる?んな訳ないか。てかさ、樹海で死ぬってどういうこと?こんなキレイな空気吸ってさ、どうやって死ぬの?健康になりそうだよ。餓死?オレまだピンピンしてるよ。やべ〜、樹海での死に方ググって来なかった。クマに食われるとか?野犬に食われるとか。うわ〜、面倒くせえな。てか、痛そうだな。)

瓦林のスマホからLINEの着信音がする。ポケットからスマホを取り出す。

瓦林・・・(おいおい、ここ電波バリバリ入ってんじゃん。チラッじゃねえよ。チラッってスタンプ送って来るなよ。オレ、死にに来てんだよ。そのチラッは、飲みに行かない?って意味のチラッだろ?いま忙しくて無理なんだけど。チラッされても無理なんだよ。うわ!ってか既読にしちゃったよ。樹海で既読かよ。死に切れねえぞこれ。)

二籐・・・(あ〜あ、あの人スマホ見ちゃってるよ。スマホがあったら無理なんだよ。スマホは置いて来ないと。あの人、死ぬ気ないだろ?なんか勢いに任せて来ちゃった感、あるね。素人だね。しかもTシャツ一枚で。蚊に刺されるとかそういう想像力が無いんだろうね。ここがどういうところなのか?調べが足りないよ。あんなんじゃ死ねないし、ただ迷子になってるだけじゃん。体力ありそうだし、そうこうしているうちに道に出ちゃうぞ。)

瓦林・・・(何だよあの人、まだこっち見てんな。やりずらいな。やりずらい?ってオレ、何するつもり?いやいや、死ぬんだよ。オレは死にに来たんだよ樹海に。でも、やり方が分かんねえんだよ。注文の仕方が分かんねえラーメン屋に来ちゃった感じなんだよ。え?麺の太さ?茹で方?味?濃い?薄い?え?何をマシマシって言ったの?そんなのそっちで決めてくれよ!客に決めさせるなよ!それが面倒くさいから店でラーメン食いに来てんだろうがよ!!!バカか!!!みたいな感じよ、今。ここのルールが分かんねえんだよ。)

二籐・・・(いや、なんか他人見てたら、死ぬ気が失せて来た。死ぬ気が失せたらもう死ねないよね。羊羹持ってるし、LEDのランタンも持ってるし。てか、4泊出来るぐらいの装備で来ちゃったんだよ。正露丸も持ってるし。生きる気だろオレ。え?オレ、キャンプしに来た?出直すか?ダメだな。あの人見てたら、死ぬ気が失せたわ。帰ろ。あの人置いて帰ろ。)

木に結びつけられた目印を頼りに帰って行く二籐。

瓦林・・・(なんか腹立ってきた。死ぬのやめるか。もうちょっと下調べしないとダメだこりゃ。蚊に刺されるし。あれ?あの人帰るのかな?あの人に着いていけば帰れるかな?おお良かった!財布落とさなくて良かった!Suicaあればバス乗れるし〜!あ〜腹減った。ラーメン食いたい。あ、そうだ。)

LINEで「え?飲み会?いつ?」と返す瓦林。

樹海の中を歩く二籐。二籐の後ろを距離を保ちながら歩く瓦林。

季節のせいか、大型の蝶がたくさん飛んでいて、鳥の鳴き声がうるさいほどに聞こえる。動きを止めた鹿だが、口元だけがムシャムシャと動いている。

樹海を見下ろす富士山。山頂に笠をかぶったような雲がかかっている。

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