ガチンコファイト航海2021と「これから」
皆さん、おはようございます。こんばんはかな。いやいや、こんにちはかもしれない。ガチファイター3期のたつやです。お久しぶりです。
以前、以下の記事を書きました。その続編というか、ガチンコファイト航海を経た、僕の思考などを簡単にまとめようと思います。ご了承ください。
とりあえず、ガチンコファイトで感じたことを少し纏めたいと思います。少し日々が経ってしまってますが。。。
ガチンコ航海は僕らに何を与えてくれたのでしょうか。僕らにどのようなことを気がつかせてくれたのでしょうか。おそらく、人それぞれ。みんな各々違うことを考えさせられ、次なる道を見据えたに違いありません。
では、僕の場合。以下はとあるレポートの要旨。
「何者かになる」
"Who am I ?" という問いに対して自分なりの答えを与えること。一度、自分が何者であるかと分かった気がしても、何かの壁にぶち当たり、また悩む。でも、経験や成長を通して、また自分が何者であるかを理解したように感じる。この繰り返しを経て、ある意味、人生における究極的な問いである、己の"Identity"の確立が生まれるのではないだろうか。
「私とは何者であるのか」という問いとその答えに向き合っていくことはとっても大切なことだと思う。「人」としての生活を営む上では。
「セカイの見え方」
下船した次の日に、いつも通りの京急に乗って、「ドアが閉まります。」といういつも通りの電車でのひと時。何か俯瞰した所から見下ろしている気分。何気ない日常の風景に新鮮な風がそっと吹く。きらきらしている気もする。なんだろう。これは。
もしかすると、これが「世界が広がる」ということのなのだろうか。と思った3月17日。
刺激的な経験を経て、モノの見方が変わるという、ある種の爽快感と心地良さを経験した気がする。麻薬みたいなもの。
「根拠のない自信」
それは、最強の武器。
ガチンコに来るまでは知らなかったもの。
普通の人からしてみたら、なんだそれ。という一言しか出てこないだろう。でも、凡人が何者かになろうと踠き足掻く時に、1番背中を押してくれるもの。何かに挑戦するにしても、勇気は必要。そんな、勇気を強くしてくれる。実績がなくても、成功体験がなくても、「俺ならできる」という根拠のない自信を持ち続けたい。その根拠のない自信が、いつか根拠のある自信へと昇華する、そんな日々を夢見て。
「孤独」
人は孤独だ。人生は孤独だ。
これが真理だと考えてしまうことがある。仲の良い友達たちもいる。自分のことを愛してくれる人たちもいる。頑張りを認めてくれる仲間たちもいる。一緒に何者かになろうと足掻いているライバルたちもいる。だけれども。そうだけども。
なぜだろう。
自分と向き合うという行為は、自分ともう1人の内なる自分との対話。気休め程度に人に頼ることは出来るが、究極的には自分の弱さとの対峙。信頼出来る人との議論を通して新たな気付きを得ることは多々あるが、結局、自己の精神世界の戦い。
何か壁にぶち当たった時、自分なりに乗り越えなければならない。これが「孤独」の由来なのだろうか。いや、まだ色々ある気がする。
「サムライのような誇り」
言葉とその響きは何となく理解できる。だが、実際にサムライのような誇りを持つということを言語化しようとすると上手くできない。
「侘び寂び」「無常観」「武士道」などなど、どれも何か違う。サムライのような誇りと武士道はイコールじゃない気もする。そもそも、武士道とは。
潔さ、高貴な誉、高潔な誇り。うん、上手く言語化できない。
もしかすると、抽象的な言葉以外で表現できない精神世界なのかもしれない。何となくしか理解できないこの誇りと覚悟を強く持った強かな人間になりたい。
何となく、3月末日の記憶を蘇らせてみて、少し綴ってみました。今はこれよりも、もう少し高級な精神世界に魂を置いている気はしますが。とりあえずの記録として。そして、次の記事で書こうかなと思っている「これから」の導入として、書かせてもらいました。
次書こうと思っている記事が本題の予定です。次の記事が書けた後、議論を含めて声を掛けてくれたら嬉しいです。
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