No.12:となりの外人さん
これまで書いてきた話については、自分自身の記憶というより、母が何度も何度も話してくれて自分の頭の中で映像化して記憶していると思われるエピソード。
以降は、大阪から奈良県へ引っ越し、2年保育で就園してからの自分自身の記憶になります。
あれ?いつからか、ですます調に変わりましたね。まあ、いいや。
今後はこれでいきます。
そして毎回、記事タイトルに「かえこがアホやからーあたりまえっ!」を入れていましたが
いくらなんでもしつこいと感じてきたので(今更かいっ、、汗)
これからしばらくは(また復活もあり得る⁉️笑)サブタイトルだけを入れることにします。
大阪から生駒へ
兄が2年生に進級、そして私が2年保育で就園する頃、両親は伯父の営む会社を出て、新たな生活を始めました。
父は転職し、奈良県の生駒市に転居。
それまでは毎日多くの親戚や会社の人達に囲まれていましたが、平屋の可愛い小さな家で家族4人だけの生活です。
生駒駅から少し離れたところにある、裏山や田んぼもある、のどかな小さな町でした。
となりの外人さん
我が家の隣には、心優しいご夫婦が住んでいました。ベニングさんという外国人の旦那さんと美しい日本人の奥さんの国際カップル。
まだまだ外国人が珍しかった時代。
私にとっては、初めて接した外国人だったと思います。ドイツ人だったような?あれ、アメリカ人?どっちだったかなぁ。それも定かじゃないなぁ。
今度、兄に聞いてみようっと。
さて。
お隣の台所の小窓からは、毎朝、奥さんがジュウジュウと肉を焼いている様子が見えました。
「さすが、外人さんや!外人さんは朝から肉を食べはるんや!」って家族で驚きました。
あ、当時、我が家の朝といえば、おかいさんが定番だったので、プチ・カルチャーショックですね。
今思えば、奈良の朝がゆ文化も、お粥をおかいさん、と呼ぶのも、全国的に見れば珍しいものだったと思いますが、、、
「奈良の人間はお粥腹いうねん。」と母がよく言っていました。
水分の多いお粥を食べるので胃が大きくなり大食漢になる、と言うことです。
私が大食漢なのは、そのせいだ、ということにしておこうっと。
クリスマスにベニングさんあらわる
当時のカルチャーショックといえば、最たるものがありました。
それは、クリスマスの夜のこと。
家族で夕飯を食べていたら、玄関がガラリと開いて、「こんばんはー」という声がしたかと思うと。
「メリーー!クリスマーーース!!!」
声高らかに、ベニングさんが入ってきました。
キラキラ光った三角のクリスマス帽を被り、縦半分にカットした生のパイナップルを高々と掲げながら!
最初何が起こったかわからないくらい突然で衝撃的でしたが、普段から陽気なベニングさんが、ひときわテンション高く、白いほっぺがまっかっか!
幸せオーラが満載で、私たちをも一瞬にしてhappyにしちゃいました。
缶詰の輪切りしか食べたことのなかったパイナップル。
初めて見る生のパイナップルと、ベニングさんの被っている紙製のクリスマス帽子に目を見張りました。
みんなで大笑いして、それはそれは賑やかで幸せな、忘れられないひとコマです。
当時パイナップルはもちろん、バナナも高価で貴重なフルーツ。
メロンなんかに至っては、桐の箱に入った超高級品。
バナナやメロンをいただいたり、ましてや買ってもらったりしおうものなら、、、
子どもは「バナナ、バナナ!メロン、メロン!」という具合に叫びながら小躍り、、、
いや、もう、狂喜乱舞したものですわ。
ましてや、生のパイナップルは、ほんとうに珍しくて。
パイナップル=ベニングさん
という式は完全にインプットされました。
その後もずっと、なんなら半世紀以上経ってこの歳になっても、丸ごとのパイナップルを見るたびに、ベニングさんのことを思い出します。
お顔はもう忘れちゃったけど、、、
ただ、この時に食べたパイナップル。
丸くカットされて甘いシロップに漬けられた缶詰のパイナップルを食べ慣れていた私にとっては、硬くて酸っぱくて、、、
「もむないなぁ、、、」
というのが正直な感想でした。
あ、これは奈良の方言で、まずいなぁとか美味しくないなぁと言う意味です。
なかなか手に入らないものをクリスマスにゲットして、半分お裾分けしてくれたベニングさんには、もちろん言えなかったけど。
今では、品種改良や輸送経路や品質管理なども向上して、とても甘くて美味しいパイナップルが安価で手に入りますが、当時は、高いだけで美味しくないものだったのかな?
単に追熟が足りなかっただけ?
ちなみに、その夜、我が家がクリスマス料理を囲んでいたのか否かは全く記憶にないです。
クリスマスといえば、長ぐつの容器に入ったお菓子の詰め合わせと、可愛くないばかりか1人で見るのも怖いくらいの、モールで出来たサンタさんが飾られたクリスマスツリーの記憶がありますが、それらが我が家の定番になるのはもう少し後になってからだったかもしれません。
ということで、今回はここまで。