「~すぎる」は本当に溢れているか
いろんなところで見る「~すぎる」や「~すぎた」という表現につい引いてしまう。
身近な人の話の中で、同じ表現があってもなんとも思わないので、
「見ず知らずの他人の価値観から溢れたレベルを教えられてもな」という気持ちになってしまうんだと思う。
でも、「どのくらいすぎるんだろう」と、ついそのレベルを確認したくなる人の気持ちもわかるため、
【釣り】の手法としては、とても優秀なのだろう。
どの程度ならtoo much なのか、皆が知りたいのだ。
そして、たしかにこれは・・w、と言いた