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ごっこ遊びから学ぶ人生の息ぬきメソッド 【コラム】
「先生はさあ〜」と子どもに語る瞬間。これは完全にごっこ遊びだ。
ボクは今子どもと話すとき「私」を使う。特に意味はないが自分のことを「先生はね」と語ることに、恥ずかしさを覚えたからだ。
1 自分を役割で呼ぶことは「ごっこ」のはじまり
教員をしていたときはよく「先生はね」「先生もそう思う」「先生びっくりしたよ」と語っていた。つまり、「先生になりきっていた」ということだ。自分のことを役割で呼ぶことは、その役になりきろうとしている状態に等しい。
学校や学童に関わる大人は大体「先生」と呼ばれる。年齢・性別・役職に関わらず、みんな先生に「なれる」のだ。
「先生である」のではなく、子どもや保護者の力、あるいは自分のなりきりの力によって「先生になる」。なんとも不思議な話。だって、つい先日まで大学生だった人も、急に先生になる。家ではお母さん・お父さんの人も、学校では先生になる。1人で住んでいる人も、先生。み〜んな先生。
先生という言葉は、不思議な力をもっている。「先生」と呼ばれると、しっかりしなければいけないと感じるし、子どもは「先生みたいだね」と言われると、自分が立派な大人になったように感じてエッヘンと胸をはる。
2 なりきることで日々を乗り切っている大人
朝になレバ自分のことを「ほら起きなさい!」と親のように起こし、弁当を拵え、出発する私たち。
仕事や学校に行く途中は、好きなバンドと一体化した気持ちになって歌いながら、ドライバーのように風を切ってカッコ良く通勤する。
仕事場に行けば、精一杯声を作って電話に対応し、大袈裟な身振り手振りで説明をし、時には先輩として後輩をランチや飲みに誘ったりする。
人はいろんな「役」という服を着て暮らしている。もう、まさにごっこ遊び。「〇〇くん、そんなにたくさんおやつ食べたら、晩御飯食べられなくなるでしょ」のセリフの延長線上に、私たちの日々の暮らしがある。
子どものそれが「ごっこ遊び」だとしたら、大人のそれは「本気のごっこ遊び」だ。よっぽど、子どもの方が本気度は高いかもしれないけれど。
もし何か辛くなったときがあれば「ごっこ遊び、ちょっと本気でやりすぎちゃったかな」「自分のやりたいごっこ遊びじゃなかったから、ちょっと抜けるね」
なんて、ごっこ遊びから少し離脱してしまえばいい。
ボクは遊びを自分の中で定義している。「遊びは誰がいつ初めてもいいし、途中でやめてもいいし、終わってもいいもの。もし抜けたくなったらいつでも言えばいい。引き止めたかったら止めてもいい。ただ無理に追い出したり、引き止め続けるのはやめよう。」と子どもに話している。子どもができることを、大人も同様にできるようにしたい。
3 「ちょいたんま、抜けるわ」が気軽に言える社会に
ごっこ遊びでいう、このセリフは
・少し休みたい
・今は考えることから離れたい
という意味だ。
もう金輪際縁を切りたい
という意味ではない。つまり
このごっこ遊び(仕事)はまあまあ楽しいんだけど、今この瞬間なんか気分が乗らないから、ちょいと抜けて気分転換してくるわ
という感じになる。この言葉は、根本で友達(仕事仲間)と繋がっていることをあらわしている。ちょっと待って、といった時点でスーッと人が離れていくような社会ではなく、
わかったよ、と応援できる社会にしていきたい。みんなの人生、色々あるもんな。
おまけ:「抜けるわ」を言える子どもに
ボクはこれまで、小学校や学童といった、子どもが生活や学習をする場をフィールドに仕事や研究をしてきた。その中で、「遊びから抜けちゃだめ」とか「遊びに無理やり入れる」「嫌だと言っていることをやらせる」など、相手に無理やり役を着せようとしたり、それに対して嫌という機会の少なさを感じている。
でも、そんな風に「やりたい」「やめたい」と伝え合いながら、お互いのちょうどいい関係構築の練習ができるのは、遊びの中だろう。遊びの中なら、安全に失敗できるし、大人が見てくれていた場合には関係の調整や修復のお手伝いもしてくれる。
遊びは
・遊びを探す
・遊びを決める
・遊びに誘う
・遊びのルールを作る
・遊びをやってみる
・遊びにつまづく
・遊びの目標を達成する
など、たくさんのステップがある。こんなステップを、時にリーダーになりきったり、時には下の子になったりしながら、場面に合わせた出方を遊びを通して考えていく。
子どもも、毎日をごっこ遊びのように生きていて。家族といる自分、学校にいる自分、好きな子の隣に座った自分、通学班の中の自分、学童での自分…
そんな役を作って頑張っている子ももちろん健気だが
「もうこの役、ちょっとやめるわ」
というように、いつでも役をやめて、自分の姿を見せてくれてもいいと思う。
学童が子どもにとって役割から開放された空間であり、そして自分のやりたいことと他の人のやりたいことがゆるく混じり合い、衝突しながら成長していく場になってくれることを願う。
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