パラレル教室運営日記16 大人が育つ子どものための教室
自分が売れたら「売れるために曲書いてんじゃねーんだよ」って言ってしまいそうな性格の持ち主、ちょっとひねくれているいわたつです。
大人が育つ子どものための教室に
前に書いたことと矛盾するかもしれませんが、このパラレル教室は、
「大人が育つ子どものための教室」
だと思っています。んー
「大人も育つ子どものための教室」
の方がいいのかな。
誰にだってなれるから「私」でありたい
学童保育の責任者などに、「保育士」の資格が必要なこと、ご存知でしたか?
この情報は、私が保育士の資格を取得しようと考え始めたときに初めて知りました。
しかし、いろいろな現状をみると、当然保育士の有資格者ばかりが勤務しているかと言えば、そうではありません。
子どもと関わる仕事をしてみたい、でも子どもと関わるのは初めて!やる気はあります!がんばります!
みたいな人が、(嬉しいことだけど)多いと感じています。
そういうときって、自分の弱いところを見せたくないから、ついつい頑張って「弱いところを見せないように」「先生らしく」振る舞ってしまうようになります。
ここがけっこう落とし穴になっていると、感じるのです。
本当の意味での仕事への理解がないまま「〇〇っぽさ」を出されると、正直子どもはうざったく感じてしまう
と思うからです。
だからこそ、「〇〇っぽさ」は捨てて、「子どもを好きで働き始めた私」のままで、子どもたちの前にいてほしい!と強く思ってます。
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「専門性」はシェアできるけど「私らしさ」はシェア出来ない
私は、元小学校の先生として、幼小連携の知見・子どもの遊びと心理の知見・幼児教育などを背景にした環境構成の知見などを、働く人に伝えたり、職員同士の話し合いの中で見せたりすることが出来ます。
つまり、私の専門性は「私のモノ」ではありますが「他の人にもシェア可能なモノ」です。
しかし、「私らしさ」はその人にしか持てないし、シェア不可能なんです。
例えばこんなこと
・歌を専門で学んできて、Jpopをものすごくよく歌えます。子どもとのコンサート企画出来ます!
・洋服の裁縫などに長けている。内装はお任せあれ!
・海外長期滞在歴あり!語学ペラペラです!
どれもこれも専門性ではありますが、どれも技術的な側面が大きく、誰かが盗もうと思ってもすごく時間のかかることです。
こんな「私」を前に出さない理由はありません。
そういう意味で、「役職らしさ」よりも「私らしさ」で、子どもたちと勝負してほしいんです。
改めて「大人も育つ子どものための教室」とは?
気付いたら育ってた、くらいが心地いいことは、さっきも話題にしました。
だから、僕がお願いする時はこんなくらいのお願いの仕方です。
僕はとにかく情報をたくさん垂れ流しています。
こんなことがあった、あんなことがあった、そこからどのように解釈したか、どんな関係性が生まれているか・・・
それはまたスタッフも同じで、子どもたちのあった事実を、ただひたすら振り返ってくれます。
事実を積み重ねて、解釈を加えていった先にしか、理解はありえないからです。解釈の積み重ねによって、子どもへの理解も多面的になって深まっていきます。
これは、授業研究なんかと全くそっくりそのままでもあります。
このように、子どもたちの姿を振り返っていると
あれ?あの子、前より変わったよね!
そしてこんな自分にも気づきます
「あの子が成長したことが本当に嬉しい」
これは、果たして成長なんでしょうか?これを成長と捉えるのは、「おれが教えてやったから成長したんだぜ」感があるかなあ。
一人一人のスタッフさんが考えて、経験を重ねた先に、何かに気付ける自分が現れた
くらいの感覚が、しっくりくるのかもしれません。
僕が「教員養成に関わりたい」と願っていたことよりも
「子どもを幸せにできる大人を増やすこと」
が僕のもっともっと大きな願いだったのかもしれません。
すごく余計なことを言いますが・・・
以下の記事、最初だけみると、悲しい現状を目の当たりにします
全部クリアしてマス。と言い切れる自身があるくらい、配慮してます。
これはきっと、自分が就職してから保育士・幼稚園教諭の免許を取得し、幼稚園保育園と小学校のシステムや育ちの連携の研究をしてきたからこそ、子どもたちの様子と学びと遊びについて、クロスして考えられるんだろうと思います。
こんなこと、大きい声で言っちゃいけないんだろうけど。
いつか教室の様子を見てもらえるようになりたい。