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それよりも『人』を見て

11年前、妊婦健診で「メンズですね」と言われるまで、自分が男の子を産むとは思っていなかった。産み分けなんて概念も存在するらしいが、一般的に性別の確率なんて五分五分。随分勝手な思い込みだが、自分は女の子を産むものだと確信していた。
なので、『メンズ』と言われた時は、そうなんだぁ…と意外な展開に驚いた覚えがある(その時の女医さんの『メンズ』という言い方がなんかかわいくて、今でも印象に残ってる)。
ただ、がっかりしたとか、嫌だったとか、そういう感情は一切ない。
自分の勝手な未来予想図になんとなく『女の子』がいる気がしていたから、その未来予想図が書き換えられている感じが、なんとも不思議だった。
結果的には、長男、次男と男の子が二人続き、そして3年弱前にようやく『女の子』である長女が生まれたわけだが。

私が女の子を産むと思っていたのは。
単純に、周りに「女」が多かったからだ。
きょうだいは、8歳年上の姉。姉の子どもも二人姉妹。母も二人姉妹だし、母方の従兄弟も3人きょうだいで上二人が女。夫も、上にお姉さんがいる。
親族に『女』が多めだったし、母方の祖母、母、姉がみんな二人姉妹を産んでいるわけだから、自分もそういうもんだと思っていた。
それと。『男の子』が周りにいる環境が、私にはなかった。
私は中学校から大学まで、女子校に通っていたので、思春期の男子をほぼ知らずに育ってきた。親族も遠方でほとんど関わりがなかった。
なので、どちらかというと自分の周囲に『男の子』がいる環境を想像できなかったから、女の子を産むものだと思い込んでいただけかもしれない。

自分の想像と外れたものの、先述のとおり、がっかりとかそういうものはなく、これから未知の生物と暮らしていくんだな、とは思った。『女』の環境で育ってきたから、『思春期の男子』について、申し訳ないくらい知識を持ち合わせていない。なので、割と小さい時から、長男にも次男にも「(男子特有なことで)困ったことがあったらお父さんに相談して」と伝えている。夫がいてよかった。

そんなわけで、無事に3人の子宝に恵まれ、毎日賑やかに楽しく暮らしている。
ただ、これまでも何回か言われたのは。
「待望の女の子ね!!」
じゃっかん、モヤっとする。
まぁ、正直、女の子を育てたいなぁと思っていたことに嘘はない。
せっかく子育てするなら、いろんな子を育てたいと思うものだ。
ただ、別に、『女』にすごくこだわっていたかというと、そこまででもない。男三兄弟になったら家が荒れそうだなぁと思っていたし、もし自分の娘が子どもに恵まれることがあるなら、母が私にしてくれたように、おばあちゃんとしてお手伝いに行きたいな〜と思っていたくらいだ。
結果的には、男三兄弟とほぼ変わらない(それ以上?)ほど、活発で脚力のすごい女子が生まれているので、おむつ替えをする時以外は、性別による差は特に感じない。椅子で浮島を作って、そこからソファーに飛び乗る、ということを毎日ずっとやってる。マリオか。

次男を妊娠していた時のこと。
妊婦健診で、たまたま一緒になった他の妊婦さんと子どもの性別の話してた時のこと。その妊婦さんがこんなこと言ってた。
「女の子だったら、自分が歳とった時に面倒見てくれそうだよね。」
『女だから』?『年老いた自分の面倒見る』?
女の子なら面倒見てくれるって感覚なんだ?男の子じゃ面倒見てくれないって思ってるんだ?そもそも、年老いた自分の面倒を子どもに見てもらう、って感覚なんだ?
なんかもう、色々衝撃だった。まぁ、もう9年も前の話なので、今だとそんなこと言ったら即刻「はい、性差別ー!!」って言われるだろうけど。

こんなに世の中でジェンダーレスを騒がれているのに、産まれてくる子どもの性別にはみんなこだわるんだなぁなんて思う。


長男は、生まれた直後から手のかからない子だった。2歳くらいから数字が大好きで、性格はおっとり。よく言われるのが癒し系。
次男は、標準的な幼少期。活発。でもピンクや可愛いものが好きだった。嫌なことがあっても多くを語らない。面倒見がいい。メンタル強い努力家。
長女は、脚力。9ヶ月の頃には歩き始めた。8〜9ヶ月で歩くのは都市伝説だと思っていた。

いわゆる「乗り物」や「恐竜」なんかは長男次男も通らなかったし、字が綺麗だよねとよく言われる。長女は、上二人のお兄ちゃんたちがほぼ見向きもしなかった車のおもちゃ、めっちゃ遊んでる。

昔よく使ってた『男の子だから』『女の子だから』ってなんだったんだろう。
性別的な、生殖的な役割として、違いはある。
生殖的な役割に伴って、身体のつくりにも違いはある。
身体のつくりが違うから、考え方にも多少の違いはあるだろう。
でも、それだけだ。
結局、みんなが必死につけようとしている「差」は、性別の方じゃなくて、単に人間としての「差」が多いんじゃないだろうか。

性別的な役割として男女を分けることは差別でもなんでもないし。
区別は必要。お風呂、トイレ、着替えを別にするのは当然として。
性別的な役割と、それに伴う身体的な特徴と傾向にさえ配慮すれば、別に男女にそこまでこだわる必要ないよね、といつも思う。
職場が男性ばかりで「女性にしか分からないような意見を取り入れる」ために、女性の雇用を促進させるのは、別に差別とかとは思わないし、「女性は妊娠出産で必ず抜けが出るから、男性を起用します」とか、性別的にどうしようもないことだけを理由に分けられたら差別かなぁとは思うけど(どっかの大学で似たようなことあったな)。
性別的にどうしようもないことを、どうにかみんなでフォローしたりカバーしたりする方法をみんなで考えるのが社会だと思うけど、いかんせん今の世の中は少しでも『男』と『女』を別に分けた考えを表明すると即「性差別だ!!!」ってなるから、そういうのを考える機会が少ないように感じる。「妊娠出産で抜けるから、女性は使いづらい」じゃなくて、妊娠出産で抜けるのはむしろ生物としてどうしようもないんだから、前向きにとらえて対策を考えて欲しいものだが。

中高の男女別学は…私は差別とかとはまた別の話だと思ってる(むしろそうするべきだと思ってる)けど、考察が足りないのでこれはまた別の機会に。

ありがとうございます。ぺこり。

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