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幸せの核に近づくための自分メモ #7

◆ びっくりするくらい無気力な一日だった。って書いて思ったけど、月曜なんて毎週そんなもんかも。あと、シンプルに眠い。ちゃんと寝たのに余裕でゴリ寝できる。寝入り端に息が鼻か喉に引っかかって止まる感覚を覚えることがあって、軽く睡眠時無呼吸症候群気味なのかもしれない。

◆ んで、本気で無気力だったので、これも瞑想で解決できるのかなって思って、「無気力症候群 瞑想」「アパシー 瞑想」とかでググってた。そしてこの記事を見つけて読んでたら、心療内科に通い始めの頃に考えたことを思い出した。

自分の人生だけど自分で決断して生きている感じがしない

2020年9月の俺

今のモヤモヤ感も根本的な原因はそこで、自分の意思で突飛なことをやってみれば問題は解決できる

2020年9月の俺

みたいに考えたんだった。昨秋にはその課題意識から、「普段ならやらないことをやってみる」「普段なら普通にやることをやらないでみる」みたいな課題を自らに課してみたりした。意味があったかどうかは分からないけれど、自分にとっては踏むべきプロセスだったような気もしている。

◆ 「自分の人生だけど自分で決断して生きている感じがしない」っていうのを思い出した時、一瞬「うっ」って嫌な感じになった。やっていることのみを考慮に入れれば、今もその時となんら変わっていなくて、自分の意思で大きな決断をしたことがないと思っているので。でも、今の自分は「持っていないものよりも持っているものに目を向ける」というスキルを身につけているので、大丈夫だった。

自分の意思で大きな決断をしたことないわりには、なかなか他の人にはできない面白い経験してんじゃん。逆に言えば、自分の意思で大きな決断をするタイミングが訪れたら、もっともっと面白い経験ができるだろうから、焦らず機会を窺えばいいよ

2022年7月11日夕方の俺

と自分に言い聞かせた。

◆ それにしても、あまりに無気力なときに自分と向き合うことには罠が潜んでいる。

「冷静に考えれば仕某なんてやりたくない」
 ↓
「そうだ、やりたくないんだ。心の声に従おう」
 ↓
(心の声に従い身体を休めながら、頭では未来のことを考えて〈今〉に集中しきれず焦り、全然休まらない)

心と頭の声

ということが往々にしてあるからだ。この〈考える〉というのが曲者だ。思考を捨て去り〈今〉に意識を向ければ、そこに苦悩が存在することなど実はほとんどないのだから、その視点から自分が置かれた状況を冷静に観察し、ネガティブな感情が浮かんできたらそれを認め、(1) その状況を変える (2) その状況から離れる (3) その状況を受け入れる のいずれかの行動を取ればいいだけだ。そこに思考が入り込む余地などほとんどない。そうすると、

よし、自分は仕某したくないと感じている。そんな今の自分には上記(1)(2)(3)の選択肢がある。一番自然に感じられるのは(3)だから、とりあえず手を動かそう(or 今日のところは休むことに徹しよう)。中・長期的には(2)も視野に入れるべきかもしれないけれども、プランニングは心身に余裕があるときにやるのでも遅くないし、実際のところ手を動かし始めれば(or 意を決して休めば)そこにそこまでの苦悩は存在しない

心の声(考えているようであまり考えていない)

となり、すんなり次の行動に向かえる。でも、そこに思考を挟んでしまうと

お、仕某のことを考えたらネガティブな感情が浮かんできた。この感情は俺に何を伝えようとしているのかというと、「仕某したくない」と伝えている。では、素直に仕某をしないようにしよう。しかし、これでは自分の置かれた状況を変えることにも、この状況から離れることにも、この状況を受け入れることにもならない。この状態で明日を迎えたら、積み残したものが自分に襲いかかってくる。しかし、心は「仕某したくない」と言っている。これを無視するわけにはいかないから、中・長期的には自分の置かれた状況を変える必要がある。しかし、どう変えていくかについて考えることが圧倒的に不足している。どうする、俺??

頭の声(考えることに偏重している)

となってしまう。

◆ 我々は「受け入れる」ことと「何もしない」ことを混同してしまいがちだが、「何もしない」ことで抵抗が増して自分に負荷をかけるようであれば、それは「受け入れた」ことにならない。それだったら「何かする」ほうがずっとマシで「受け入れる」に近い。「〈今〉に苦悩が存在しないと知る」ことと「ネガティブな感情を抑圧する」ことも違う。後者もまた、実態と異なる状態を理想とし、現実とのギャップを感じているわけだから、心に負荷がかかり、負のスパイラルへと陥っていく。ここのところ好調だった僕も、今日は久しぶりにそんな感じになってしまったので、こうして書き残すことで未来の自分が見返せるようにしておきたい。

◆ 昨日は選挙があったわけだけれども、選挙もそういうことなんだろうなと思う。そこに不満があるのにそれが無いかのように振る舞うことは、結果として自らを追い込んでしまう。だから、不満があるのであれば意思表示したほうが、不満が無いかのように振る舞うよりもずっといい。でも、行為というものを過大評価しないことも同時に大事。「こうすればああなる」と夢見ることは〈今〉でなく未来に目を向けることで、そうするとその過程である〈今〉が実態以上に不満だらけに感じられてしまう。行為よりも〈在る〉ことに浸り、それ自体を味わう。

◆ まぁ、そうは言っても、〈今〉〈ここ〉とはどこか別のところに真の幸福があるような気がして、いわば〈報酬〉志向に陥ってしまうことはしばしばあるわな。自分の報酬志向に気づいたら〈今〉〈ここ〉に意識を戻す—それを繰り返していくしかないんだと思う。このときにも「〈今〉〈ここ〉に意識を戻すことを繰り返せば真の平穏が訪れる」みたいな報酬志向にならないように注意しながら。

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