幸せの核に近づくための自分メモ #7
◆ びっくりするくらい無気力な一日だった。って書いて思ったけど、月曜なんて毎週そんなもんかも。あと、シンプルに眠い。ちゃんと寝たのに余裕でゴリ寝できる。寝入り端に息が鼻か喉に引っかかって止まる感覚を覚えることがあって、軽く睡眠時無呼吸症候群気味なのかもしれない。
◆ んで、本気で無気力だったので、これも瞑想で解決できるのかなって思って、「無気力症候群 瞑想」「アパシー 瞑想」とかでググってた。そしてこの記事を見つけて読んでたら、心療内科に通い始めの頃に考えたことを思い出した。
みたいに考えたんだった。昨秋にはその課題意識から、「普段ならやらないことをやってみる」「普段なら普通にやることをやらないでみる」みたいな課題を自らに課してみたりした。意味があったかどうかは分からないけれど、自分にとっては踏むべきプロセスだったような気もしている。
◆ 「自分の人生だけど自分で決断して生きている感じがしない」っていうのを思い出した時、一瞬「うっ」って嫌な感じになった。やっていることのみを考慮に入れれば、今もその時となんら変わっていなくて、自分の意思で大きな決断をしたことがないと思っているので。でも、今の自分は「持っていないものよりも持っているものに目を向ける」というスキルを身につけているので、大丈夫だった。
と自分に言い聞かせた。
◆ それにしても、あまりに無気力なときに自分と向き合うことには罠が潜んでいる。
ということが往々にしてあるからだ。この〈考える〉というのが曲者だ。思考を捨て去り〈今〉に意識を向ければ、そこに苦悩が存在することなど実はほとんどないのだから、その視点から自分が置かれた状況を冷静に観察し、ネガティブな感情が浮かんできたらそれを認め、(1) その状況を変える (2) その状況から離れる (3) その状況を受け入れる のいずれかの行動を取ればいいだけだ。そこに思考が入り込む余地などほとんどない。そうすると、
となり、すんなり次の行動に向かえる。でも、そこに思考を挟んでしまうと
となってしまう。
◆ 我々は「受け入れる」ことと「何もしない」ことを混同してしまいがちだが、「何もしない」ことで抵抗が増して自分に負荷をかけるようであれば、それは「受け入れた」ことにならない。それだったら「何かする」ほうがずっとマシで「受け入れる」に近い。「〈今〉に苦悩が存在しないと知る」ことと「ネガティブな感情を抑圧する」ことも違う。後者もまた、実態と異なる状態を理想とし、現実とのギャップを感じているわけだから、心に負荷がかかり、負のスパイラルへと陥っていく。ここのところ好調だった僕も、今日は久しぶりにそんな感じになってしまったので、こうして書き残すことで未来の自分が見返せるようにしておきたい。
◆ 昨日は選挙があったわけだけれども、選挙もそういうことなんだろうなと思う。そこに不満があるのにそれが無いかのように振る舞うことは、結果として自らを追い込んでしまう。だから、不満があるのであれば意思表示したほうが、不満が無いかのように振る舞うよりもずっといい。でも、行為というものを過大評価しないことも同時に大事。「こうすればああなる」と夢見ることは〈今〉でなく未来に目を向けることで、そうするとその過程である〈今〉が実態以上に不満だらけに感じられてしまう。行為よりも〈在る〉ことに浸り、それ自体を味わう。
◆ まぁ、そうは言っても、〈今〉〈ここ〉とはどこか別のところに真の幸福があるような気がして、いわば〈報酬〉志向に陥ってしまうことはしばしばあるわな。自分の報酬志向に気づいたら〈今〉〈ここ〉に意識を戻す—それを繰り返していくしかないんだと思う。このときにも「〈今〉〈ここ〉に意識を戻すことを繰り返せば真の平穏が訪れる」みたいな報酬志向にならないように注意しながら。
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