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優しさなのかエゴなのか

私は今大学4年で、少し前に忌々しい就活が終わった!終わったら、友達や後輩との関わりが元に戻ってきて、沢山人と話したり連絡を取ったり遊んだり軽音楽サークルでコピーバンドをやったりする日常が戻ってきた。

久しぶりにいっぱい人と関わると楽しい。ひとりで過ごし続けているとそれはそれで違う発見や成長があると思うけど、やっぱり人と関わった方が圧倒的な量の気づきとか心の動きとか予想してなかった出来事が、小さいものから大きいものまでいろいろとある。

そんな生活の中で最近悩みがあって、わたしは人に優しくしているのか、もしくは優しいと思われたいだけのエゴなのか、が本当にわからない。わからなすぎて頭を抱えている。
私は昔から、「偽善者」っていうのがどういう人のことを指すのかわからないし、偽善者なんているのか?ただ心根が優しいだけの人を妬んで揶揄する言葉なんじゃないかとすら思うくらい「偽善」がわからない。

でも、自分としては相手のためと思って選んだ言動だけど、これで相手は本当に嬉しいのか?正しい気の使い方出来てるか??と思って何が正しいのか分からなくなるときが最近ある。
自分が安心したり気持ちよくなったりするためだけにやっていないか?って思ったりもする。

でもこれを書いてるうちにちょっと考えがまとまってきたかもしれない…
「本当に相手のため?」っていつも考えて点検し続けていれば、見当違いで自分のための、ずれた優しさになることは避けられるんじゃないかなぁ。

それでも完璧にすることなんてきっと出来ないんたけど、やらないよりぜんぜんいいよね!
よ〜し、明日からも点検しながら楽しく生活していくぞ!!
自分が絶対正しいなんて思わないことは大事だと思う!


あと今回からnoteの最後に一曲紹介しようと思う!

今日はこれ

雑感 / 柴田聡子



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