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チーム・ニコラウスより愛を込めて 上
chapter 1 憂鬱な季節が来た
はあ、と僕は今シーズン初めてのため息をついた。
庭には厚く落ち葉が散り敷いて、もっている熊手がすぐに重くなる。心の中のように。
「とうとう、この時期が来てしまったか」
赤い葉が、僕の見守る中ひらひらと不思議な曲線を描いて落ちていく。
いつもそうだ。落ち葉を見るたびに憂鬱になる。特に赤い葉っぱ。
熊手を使う僕の背中は、たぶん丸まっていたのだろう。
「ヘイ、ニッキー」
ふり向くと、そこに立っていたのはやはり彼女だった。
つやのある黒い革のロングコート、その下はいつものように薄いベージュのワンピース一枚、長い栗色の髪が豊かに波打って白磁の卵みたいに肌理の細かい顔を取り巻いている。
「また、しょんぼりしてイヤなため息ついて。窓から見えたわよ。いい男が台無し」
彼女はエメラルドのような深い色をたたえた瞳を見開いて、僕を見つめていた。
「今年もまた、大勢の人たちがあなたを待ってるのよ。こんなにモテる男はあなたくらいのもの。もっと楽しそうにしていないと、ねえ、正義の味方さん」
「そんな役目、スパイダーマンやバットマンにでもくれてやる」
「ねえ」
「ジェイムズ・ボンドでもイーサン・ハントでも」
「ニック」
「僕はもうここから出て行く。どこか極東にでもひっそり住むんだ、中国とか、日本とか」
「ニッキー」
「その名前で呼ぶな」
彼女はそっと手を伸ばし、僕の顔を引き寄せる。
「可哀そうなニック、痩せっぽちさん。なのにあの日にはうんと着ぶくれて人相まで変えて、みんなの期待に答えなくちゃ……ナーバスになるのも判る。
あなたがあまりにも有名で、あまりにも良い人だから」
僕は少しだけ、彼女の肩に頭を預けた。
「……ごめん、何だか変だよな。もう1500年以上は生きているはずなのに。いつまでたっても心の中が追いつかないんだ、20か30の若造と一緒でさ」
「いいじゃない、そんなあなた好きよ」
「世界各地でいろんな奴にいろんな事言われ放題でさ」
「知ってる」
「実在するのか? するわけない、邪教からの概念導入だ、企業の宣伝活動の一環だ。なぜ赤い服なのか知ってたか? えせヒーロー、実は泥棒では、詐欺師、あわてんぼう……もう耐えられない。何年も何年も同じ事の繰り返し……」
「泣かないで」
「別に、泣いてない。涙は出てない」
「心の中の涙が見える」
「さすが精霊様だ」
「私たちだって、ひどい言われようよ……アイツらどうしてウマじゃないんだ、いやシカだろ? 苔食って寝てろよ、ステーキにすると美味いぞ、なんてね」
えへん、と軽い咳払いが耳に飛び込んだ。
あわてて彼女から離れると玄関ポーチに、ルディーが立っていた。
「いや、失礼。ジャマするつもりは無かったんですが」
相変わらず気取っている。
僕はわざと意地悪な口調にした。
「赤鼻くん、何か用?」
金髪のクルーカット、背は僕よりずっと高くいつも碧い目を鋭く光らせているルディーは、この言葉を聞くと少し目まいがしたように後ろに身を引いた。
「そりゃ、僕は寒さには弱いが」
11月になったばかりだというのに、確かにもう彼の鼻先は赤く染まっていた。
「人の身体的特徴をとやかく仰るとは……恰幅の良い寛大な御大らしくない」
今の、貧相な姿をしている僕に対する当てつけだろう。
見た目では普段の僕は本当に貫録に欠ける。髭すら生えない。
近所のドラッグストアでもずっと学生と間違えられているし。
「それよか、コメット。ダッシャーが呼んでます、もう打合せの時間ですよ」
ルディーが軽くあごをしゃくると、コメットはそっと僕から手を離した。
するりとぼくのこめかみからあごを撫で降ろし
「じゃあね」
と笑ってから、さくさくと落ち葉を踏みながらルディーと家の中に戻っていく。
僕はそれを見送ってまた軽く、ため息をひとつ。
世間では僕は彼に同情して、ランナーチームのトップに据えたのだと噂している。
彼の鼻が赤いのが夜道で明るく役に立つ、なんて。そんな冗談誰が思いついたんだ。歌が流行ってしまったおかげで、彼をリーダーに据えざるを得なくなったのが実の所。
あんな鼻もちならないヤツが万年議長だなんてどうかしている。
ダッシャーの方が年長だし、すっかり落ちついているのに。
と、件の彼が窓から覗いていたのと目が合い、どっきりして思わず熊手から手が離れた。
「ニック、すみませんびっくりさせて」
ダッシャーは慎み深くやや目を伏せて、そこに佇んでいた。
いつも物静かで、あまり大きな音を立てないし話し方もふつうに声を出しているのに、何故か『静謐』というイメージがある。
黒髪に黒い瞳、ヴィザンチンのモザイク画から抜け出てきたようなくっきりした顔立ち、本当に修道僧のようだ。
着ているタートルネックのセーターまで黒く禁欲的だ。
「コメットを見ませんでしたか? 今から打合せが」
「今、ルディーと入っていったよ」
そうですか、とまだ目を伏せていたが、ようやく目を上げて言いにくそうに口を開いた。
「今回、誰を外すかという話になると思いますが、アナタにも参加して頂けますか」
「そうだな……いいけどさ、今一つ弱ったことがあって」
配布リストのチェックがまだ残っている、それに今回はアフリカ地域に布教活動がかなり拡がった関係で、ルートについてじっくり検討したいと思っていた。
僕たちは日付変更線とかそういう地理的条件に左右されず、その夜には自由に世界各地を飛び回ることができる。僕たちが動き回る間、時間はほとんど止まっているのだ。
それでも、毎年何かと気を遣うのがこの事前準備の諸々だった。
「後で東アフリカの地図を一緒に見てくれる? 相談に乗って欲しいんだ」
「もちろんです」
ぱっと彼は顔を上げた。
笑顔がすごく明るい。こんな時の彼の表情は普段が地味なだけに、男の僕でも一瞬息が止まりそうになるほどあでやかに目に映る。なぜか頬に血が昇る、僕は気づかれないようにさりげなく目を反らした。
やはり彼もルディー議長には少しうんざりしているのだろう、しかし仕方がない。
代わりにと言ってはなんだが、彼には色々と陰で手伝ってもらい、頼りにしているところを必死にアピールしているつもりなのだ。
そして、あの笑顔を見たくて……? 僕は熱くなった頬を汚れを拭くふりをして手の甲でこする。
よけいに土ぼこりがついた感触があった。
ではあと10分くらいで始まりますから、と彼は軽く礼をして階段を上っていった。
僕は少し心を落ちつけようと、バラ園の端にあるアラバスタの噴水まで行って顔と手を洗った。
後ろでかさこそと枯れ草のこすれる音がする。
見ると、バラの植え込みの陰に飼い猫のマリアがうずくまっているのがみえた。
「おまえ」僕は優しく片手で招く。
「どこ行ってたんだ、ずっと探してたんだぞ。ヴィクが新しい缶詰買ってくれたんだ、どうしていつもヴィクのご飯は食べないんだよ」
「ニック」
また窓から誰かが声をかけてきた。
今度はダンサーだった。
陽気なシルバーブロンドの娘。打合せだと聞いて起きたばかりなのか、まだ下着姿だ。精霊たちは恥じらいというものがあまりないらしい。
彼女は起きぬけとは思えないキラキラした声で言った。
「どうしたのよ、紙袋に話しかけたりして」
ふり向いてよく見たら、それは猫ではなくマックの空き袋だった。
中にゴミが入ったままなのだろう、真ん丸く膨らんでいてちょうどマリア位の色形だった。
僕はひとりで赤くなって、そのゴミを拾い上げた。
「……マックセットを食べてゴミをその辺に投げておくのは、ドゥンダーくらいだわね」
ダンサーがもっともらしくそう言って、舌打ちをした。
「今年こそ彼がチームから外れて欲しいもんだわ」
ドゥンダーは、チームの中でも一番の新米。見た目活発で明るいが案外ちゃっかりしている。
いつの間にかリーダーのルディーにとり入って、いつもランナーの中でもいいポジションをキープしていた。
ルディーがトップに立って以来、配達メンバーから外されたこともない。
そのくせ日常の生活が案外だらしなく、しかもファストフード大好き人間なので、庭にも家の中にもよく、食べ終わった殻やカップの残骸などを放置してあることが多い。
何度注意されても「はあ」とその空色の瞳を宙に向けて、あどけないとも言える笑顔を浮かべて生返事を繰り返している。
見た目もきゃしゃな少年風だし短めの金髪がふわふわとタンポポのように頭をとりまいているせいもあって、最初のうちは女子連から可愛い、などともてはやされてもいたが、少しずつアラが出始めている。
アラも出てきたし、気のせいか腹も?
あと50年もあのペースでビッグマックを食べ続ければきっといつかはトナカイではなくて豚に変わるようになるだろう。
僕はまたため息をひとつ。
「先行ってるね」
とダンサーが文字通り『踊るように』消えた家の中へと続いて入っていった。
chapter 2 気重な会議をした
二階の南側、大きな掃きだしの窓から秋の景色が拡がるその部屋にはすでにメンバー9名すべてが集まっていた。
大きな円卓正面に、膝を組んでゆったりと座っていたコメットが
「ハンサムさん、」
艶やかな笑みを浮かべ、対面に空いた椅子を指した。
僕は音をたてないように一番入り口に近いそこに座る。
僕からみてすぐ左隣のヴィクが、神経質そうに爪をかみながら、それでも僕の方に半分ふり向いて中途半端な会釈をした。
「マリアが帰ってきました」
小さな声で前を向いたままそう教えてくれた。
僕はバラ園で見間違えたことを思い出して、少しだけまた目の周りが熱くなる。
「そうか、よかった」
猫のマリアはみんな共同のペットなのだが、特にヴィクと僕が主に面倒をみている。
僕は猫があまり好きではないが、なぜかマリアは僕にばかり懐いている。
それでも長身で砂色の髪を後ろでひとつにしたヴィクは、物静かな詩人のようにいつも哀しい目をしながらも、そんなマリアに献身的に尽くしている。たかが猫なのに。
「それじゃあ始めようか」
口を切ったのはやはり議長のルディー。コメットの右隣に主人ふぜいでどっかと腰をおろしている。
後ろの赤く色づいた木々をバックに、彼の金髪とコメットの豊かな栗色の髪がまるでボナールの絵から抜け出してきたかのように輝いている。
僕の胸に少し痛みが刺した。
なんなら、僕の役目もルディーに譲ってやりたいくらいだ。それが僕にはちょうど身の丈に思えるし。
コメットの脇について何も考えずに一緒にいてつく夜空を駆ける……それはそれで十分魅力的だろう。
「まず、皆に報告がある」ルディーはテーブルの上で軽く指を組んだまま言った。
「今回、彼女が先に辞退を申し出た」
ルディーの目線の先、僕のすぐ右隣に座っていたキューピッドが顔を上げた。
彼女も美しい金髪。蜂蜜の輝き、香りまで蜂蜜の甘さだ。それをきっちりと編みあげすらりとした首を真っすぐ伸ばして座る姿は精霊というよりさながら女神のよう。
「ごめんなさい」
声も美しい。しかし、僕は気がついた。「キューピッド、きみ……」
多分ドゥンダーだろう、こういう時に余計な口を挟む。
「子どもができたんだって?」
聞いていなかった女性陣が「きゃあ」と歓声をあげた。
彼女のすぐ隣にいたプランスが励ますように彼女に笑いかけ、テーブルの上にあった彼女の手にそっと自分の大きな手をかぶせた。
「おめでとう」の声が飛び交う中、キューピッドはとても幸せそうに笑っている。ふとこちらを向いて長いまつげを少しだけ伏せる。
「ごめんなさい、アナタにまっ先に言うべきだったのに」
「いいんだよ、そんなこと。それよりおめでとう」
僕は軽く、彼女を抱きとめた。ふんわりした感触。
彼女の向う側にいるプランスと目が合った。その黒い瞳がまっすぐ僕に向く。
彼女に触れた時すぐ分かった、父親は彼だ。
お似合いのカップル、金髪の女神に鋼色の髪をしたギリシャ彫刻のごとき肉体美の男。
「おめでとう、プランス」
弾んだ声をかけると彼は少し照れくさそうな目をして、それでも
「ありがとうございます」
そう言って、今度は堂々と彼女の手をとった。
彼らがそこまで愛し合っているのはメンバーですら知っている者が少なかったらしく、しばし驚きの声や冷やかすような、それでも温かい祝福の声が明るい部屋に飛び交った。
僕は笑いながらもまた少し胸が痛くなる。
僕にはこういう事は永遠に縁がないのだ。
精霊には許されても、僕には一生の貞節が求められている。見た目も心も成長しないのは、そこが原因なのかも知れない。
「それでは……あと一人か脱落者は」
ここでまた言わずもがなのことを口に出すドゥンダー。
ヴィクと彼の間に座っていた男装の令嬢、ブリッツェンがぎろりと彼をみた。
「アンタが降りれば」
冗談とは思えない強い口調だ。
黒い髪を短いボブにして、前だけ一筋銀色の房になっている。ほとんど紺に近い青い瞳がきっ、とタンポポ頭の極楽トンボを睨みつけ、その口を閉じさせた。
咳払いをして、ルディーが言う。
「彼女のように、自己申告でもいい、今回は降りるという者がいればここで聞く」
なぜかダッシャーの方をじっと見つめている。
彼をリーダーの座からけ落としただけでは飽き足らないのか、それにしてもすごいライバル心だ。ダッシャーはそんな挑戦的な視線をも忍耐強く受けとめ、静かに前を見つめている。
「年齢順に降りる、というのもありかな」
ドゥンダーのあけすけな言い方に、いつもは温厚なヴィクですらぐいとあごを動かした。
「年齢だけなら、ニックが一番でしょ」
ダンサーの口調はまるで屈託ない、しかし、皆の視線が一斉に集中し、僕はますます居心地の悪さを感じる。
「彼は外せません、よね」こちらを向いたルディーの碧い目は、しかし笑っていない。
「ニックったらさ、」ダンサーがくすくす笑う。
「さっき、バラ園で、紙袋をマリアだと思って話しかけてたのよ」
話のつぎ穂に口に出したのだろうが、今さらそんな事を言わなくていいのに。悪気がないだけ始末におえない。
「それより、気になることがあるんだけど」
ブリッツェンのよく通る声に、今度はみな一斉にそちらを見た。
左隣のドゥンダーに挑戦的な目線をくれたまま、ブリッツはタイトなジャケットのポケットから、スカイブルーのスマートフォンを取り出した。
「それ……」ドゥンダーが口もとにまだ笑みを張り付けたまま怪訝そうな表情で
「僕のだ、あれ?」
「トイレに置きっぱなしだった」
彼女は取り返そうとしたドゥンダーの手を軽く払いのけ、勝手にそれをいじり始めた。
「おい……何すんだよ」
「アンタ、ツイッタ―やってんだ」
「だから何だよ」
「パスワード設定もいい加減で、スマホにロックもかけずに」
「だって、何だかよく分からないからさ」ドゥンダーが更に手を伸ばし、ブリッツが避ける。
「アカウントみたけど、あれはもしかして『機密漏洩』にあたるのかしら?」
ドゥンダーの顔色がやや青ざめる。隣のルディーが小声で
「どういうことだ、え?」と彼の肩を突いたが、それにも気づかないようだ。
「何を書いてたの」コメットの声も冷たい。
ブリッツはさりげない口調のまま、指を動かして画面を出した。
「そうね……こんなのはどう?
『雷鳴くん@thunderbolt0807 できちゃった婚。天使ちゃんと踊り手くん。クリスマスにはお出かけできないかな?』」
「そんなの、単なる『つぶやき』じゃん」
ドゥンダーがうそぶく。
「別に全然、機密でも漏洩でもないし」
「他にはね……『ニッキーはそう呼ばれたくない。ではセイント・ニッコラでは?』」
ついにドゥンダーが立ち上がり、ブリッツの手から乱暴にスマートフォンを取り上げた。
顔は真っ赤になっている。「なんだよ」
以前は彼を『可愛い』とよく愛でていたコメットやキューピッドですら、「信じられない」と憤っている。
ダンサーも「だから言ったでしょ」みたいな表情だったが、元々彼が入ってきた時に一番お熱だったのは彼女。かつての愛の深かった分だけ、憎悪も激しいようだ。
プランスもあきれたようにため息をついて言った。
「英国でのあの失敗で懲りたと思ってたんだが」
そう、以前のドゥンダーが30年ほど前に引退してすぐやってきたこの若い精霊ドゥンダー二世、仕事中にも案外ミスが多く、ごく最近にも凄いポカをやってしまったばかりだった。
英国王室のウィリアム王子の元にプレゼントを置きに行った時、部屋にすんなり入れたまでは良かったが、そこで絶対に口を利いてはいけないとされているトナカイの彼が、ついこう叫んでしまった。
「わあ、寝ている時でもすごい警備だな」
それで一瞬、魔力が解けてしまい、僕らは『素の姿』で警備の人々の前に姿を晒してしまった。しかも、意識のある彼らの前に。
7人の黒ずくめ&トレンチコートの背高の連中とそれに囲まれた痩せっぽちの革ジャン青年、これではリアルに不審者かテロリスト集団以外の何物でもない。
人数の多さとあまりの唐突さに、誰も襲われることなくすぐに姿をくらますことができた。しかし、警備の連中は翌日から高熱で寝込んでしまった。天の助けか、熱が下がった時に記憶を失っていたのと、王子がその時に熟睡されていたのだけが救いだった。
「議長に、ドゥンダーの降板を要望します」
静かに、しかしきっぱりとダッシャーが言って、まっすぐルディーの目を見つめた。
しばしの睨みあいの末、目をそらしたのはルディーの方だった。
「止むを得ない」
さりげなさを装っているが、心の中で何かが戦っているような影が眉間にこもっていた。
後でドゥンダーをどこかに呼びつけて、くどくどと説教するのだろうか。
「しかし今年限りの措置だからな」
よくよくタンポポ頭が気に入っているのだろう。
「そのオモチャをつかってさえずらなければね、これ以上」
そう投げ捨てたブリッツの言葉に、ドゥンダーは一瞬きっとなって口を開きかけたが、懸命にもそれから先の会議中はずっと腕組みをしたまま、沈黙を守り通していた。
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