不登校だった娘のこと「きっかけ」
昨日は新年お茶会に出席し、
その後場所を変えゆっくり友人と過ごす。
甘いものと温かいコーヒーは見るも食すも幸せを感じます☕️
今朝は雨上がりで少し暖かい☺️
本日は20日ゼロの日、交通当番でした。
週始めの朝、通学通勤の皆さんが徒歩、自転車、車でビュンビュン足早に急がれる中、安全に交差点を通行出来るよう見守りをしてきました。
過去の娘
さて...前回書き記した娘ですが、
幼い頃は今となってはとても信じ難く
お外大好き少女でした。
あなたはお猿さん🐵ですか?
と言わんばかりに木登り、雲梯、
また一輪車を乗りこなし、
身体の中にゴム?バネ?磁石?でも入ってるかのように元気に走り回っていました。
そして誰とでもフランクに話す、
そんな娘が小学校に入学し、6月頃から
様子がおかしくなってきました。
娘は登下校の通学班の子達から、
いわゆる仲間外れ、今で言うハブられる。
幸い、クラスメイトとは仲良く出来ていたので学校まで送迎したり、通学班の同級生とは同じクラスにならないようにと学校側も配慮してくれたので、何とか登校は出来ていました。
でも毎日積み重なる心労は、心深くまでに達しており、高学年になると心因性視力障害となり、度なし眼鏡(ガラス)をかけると視力が戻る状態となりました。
その後身体にたくさんの症状(腹痛、頭痛、蕁麻疹など)が出始め、ある日学校で呼吸障害が起き、病院へ運ばれる事態となってしまいました。
その頃までの私は、辛くても学校へ行けるのであれば行ったほうが良いと言う考えでした。
さすがに一度ゆっくり休もうと本人に話しました。
でも中学校に行ったら変われるかもと
僅かな希望を持っており、部活は吹部に入りサックスを始めたいとサックスを習い始め、何とか小学校卒業式に出席、
中学校入学したが、身体への症状は治ることなく1ヶ月で欠席しがちになりました。
担任の先生は忙しい中、一生懸命に娘に寄り添ってくれて話を聞いてくれましたが
段々と娘は一人になっていきました。
なんでもっと早く「もう学校へ行かなくていいよ」と言ってあげられなかったんだろう。行かせるのではなかった。
娘がこんなになるまで登校させてしまった...ものすごい後悔でした。
自室から全く出てこなくなり、
食事もほとんど受け付けず、
お風呂は二週間に一度程度、
トイレのみ部屋から出る状態。
トイレから戻ると、ドアの内側に椅子などを積み上げ誰も入れないようにしていました。
毎日何時もちゃんと息をしているのか
娘の顔を見る事が出来なくて心配でなりませんでした。
この状態が半年ほど続きました。
現在の娘
今でも毎日お部屋の中にずっといます。
昼夜逆転も当たり前ですが、中学時代と違うのは笑い声が聞こえ、ご飯を食べてくれています。娘と話す時間はあまりありませんが、元気でいてくれています。
そしてお部屋の中でお仕事をしている!
不登校になってから約10年経ちました。
今の娘の様子です。
ここまで読んでくださりありがとうございました😊