戦車のケガは骨折からだ
戦車に乗って初めて演習に出た時、車長は九州出身の古参2曹だった。
銃剣道の合宿へよく行っているタイプの強面の生粋の戦車乗りだ。
「生粋の戦車乗り」と書いた理由は、第七師団の機甲師団化に伴い、2個普通科連隊分の隊員が転属するか、転科して機甲科へ来ている陸曹がたくさんいて「元普通科隊員」の陸曹の戦車長、砲手がたくさんいたのだ。
その時の砲手も2曹で元普通科隊員であった。
新米装填手なので車長はいろいろ教えてくれた。
「いいか、戦車じゃ骨折以上はケガとは言わねぇんだ、ちょっとのミスが殉職に繋がる、特に砲尾の後ろには絶対入るな、空包を装填する時もだ、戦車が動いている時も砲が何かにぶつかって砲尾が下がって挟まれて死んだ奴もいるからな判ったか」と教えてくれた。
私は大きな声で「はい」と返事をした。
実弾射撃の時など射撃した瞬間砲尾が排莢のため後退し砲弾の熱い薬莢が飛び出してくる。
そこにいたら大ケガ間違いなしだ。
戦闘室の中は装備やいろいろあって決して快適じゃない。
装填手席という座席はあっても座ったことなんて無い。
戦車の砲塔から顔を出して乗っている時の足場と化している。
砲塔からは胸くらい無線機の亀の子くらいまで身体を出すと言われているが、通常はハッチが腰の辺りまらいまで身体を出して行進している。
74式戦車の移動中座っているのは砲手と操縦手だけだ。
戦車乗り生活で装填手期間は意外と短った。
考えたら当時カメラで撮影できたらいい写真撮れたろうな・・・特等席だからね。
もっとも戦車の一番下っ端の装填手がカメラを持って撮影することなんて出来なかったし、操縦手はそんな暇ある訳ないし、砲手は砲塔の中だし・・・車長は忙しいし・・・。
現在は訓練中の撮影は禁止されているとかで、乗員の撮影したものが世にで来ることはない。
私の頃は結構緩かったので、装填手時代でも古参になっていたら写真撮影していた者もいたし・・・記念写真的な物が多かったと思う。
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