戦車の中の人
戦車のことを語る人は世の中に結構いるが、戦車の中の人を語る人はほとんどいない。
旧軍や外国軍の戦車の中の人なら「戦車兵」、自衛隊なら「戦車乗員」と呼ばれる人が戦車の中の人である。
「戦車手」「戦車陸曹」「機甲幹部」とも呼ぶし、「車長」「砲手」「操縦手」「装填手」と補職で呼ぶ。
戦車の指揮官なら「小隊長」「中隊長」「隊長」「大隊長」「連隊長」と各級指揮官に「戦車」と付けて呼ぶこともある。
「戦車小隊長」とかね。
小隊長は4輌の戦車の小隊の長であり、自分の戦車の「車長」でもある。
車長は乗員を指揮をし、指導し教育も出来ないとダメである。
なので経験の無い、自分のことで手一杯の車長のところにはベテランの乗員がクルーとなることも多い。
でも小隊長車にはレベルの低い乗員はあまりいない・・・・・とは思う。
人間関係がしっかりしていないとうまく行かない。
車長は2曹以上の階級で、上級機甲のモスを取得していないと正式な車長にはなれない。
砲手は3曹以上の陸曹で、陸曹教育隊で教育を受け「中級機甲」のモスを取得しないとなれない。
新隊員の教育では砲の基本的動作はやっても、砲手としての射撃とかの教育はしないので陸士は砲手をやれない。
砲手は戦車射撃をするので腕の良し悪しもハッキリする。
2曹くらいまで砲手はいる。
昇進が早いと砲手から車長まで昇格が早い乗員もいる。
操縦手は90式、10式だと3人乗りなので一番下っ端で陸士の戦車乗員が多い。
若手の3曹も操縦手にいる。
74式戦車の頃は装填手が一番下っ端で陸士長が昇格して操縦手になっていた。
「初級機甲」を取得していないと操縦手になれない。
よく戦車の免許は「大型特殊免許」だから、「大特免許」を取れば戦車を操縦できると言う人がいるが、民間で大特免許を取得しても装輪で取得するので戦車のような装軌車の操縦は経験しないし法的に乗れても動かすのは・・・ね。
それと自衛隊って「特技」というモスを各種取得しないと、戦車でも大型トラックでも乗れないのである。
なので大型特殊免許を取得しても戦車の操縦は無理なので勘違いは禁物である。
装填手は74式戦車までで、消えてしまった補職である。
戦車じゃないけれど、機甲科の「16式機動戦闘車」には装填手がいる。
戦車砲の砲弾を装填したり連装銃の機関銃弾を装填する。
しかし、90式戦車以降自動装填装置により装填手は廃止されてしまった。
でもね、装填手は新兵の頃は戦車の見習いのようなものであったり、雑用をやって戦車のことを学び、訓練で鍛えられ一人前の戦車乗りになる過程で大事な役割だったんだけどね。
それと本当の真の任務は乗員にいかに迅速に熱い美味しいコーヒーを淹れられるかで一人前になったかと評価されていた。
「茶坊主」なんて言い方をする奴は戦車以外の無礼な隊員だ。
私は「茶坊主」なんて呼んでいるのは聴いたことが無い。
戦車の中の人となるには、陸上自衛隊へ入隊し自衛官候補生なり一般曹候補生になって教育修了時に職種が機甲科へとならないとなれない。
機甲科の新隊員後期教育へ進み、大型特殊免許を取得するのは必須で、戦車の教育を受けて「基本機甲」のモスを習得して機甲科の隊員となる。
機甲科の隊員となったが戦車の中の人になった訳ではない。
それは戦車中隊なりに配属されて戦車乗員にならなければならないからだ。
戦車部隊へ配属されても偵察小隊とか補給小隊とか通信小隊に配属されたら「戦車乗員」にはなれないし、戦車乗りになれない。
機甲科の通信手とか斥候手としての道を歩むからだ。
機甲科へ行っても、戦車部隊へ配属されたからって戦車乗りになれるとは限らず戦車乗りの道は険しく狭き門なのである。
以前は静岡県の駒門駐屯地にあった「第一機甲教育隊(一機甲)」で陸曹教育を行い、全国の機甲科陸曹候補生を教育していた。
なので全国の機甲科隊員はどこかで必ず繋がっていた。
九州にも北海道にも関西にも知っている機甲科の隊員が必ず居て、冷戦の頃は内地の戦車乗員は北海道の戦車部隊へ転属して来て数年勤務すると元の戦車部隊へ帰っていったので自然と戦車乗りの絆があって狭い世界だが、「何期の誰々知ってる?」と言えば「ああ知ってる」と話題が出来るのである。
機甲生徒も機甲幹部も同様に全国に同期がいるし、他職種はそういうのが無い機甲科の特徴だ。
逆に他職種は他職種の陸教の同期は居ても機甲科の同期があまりいないし、他職種の陸曹が「機甲科の陸教の同期いないんだよ、戦車乗っている同期っていないんだよな」と言っていた。
昨今の戦車削減で一機甲も無くなり、そういう戦車乗りの絆も薄まりつつある。
戦車乗りであった者はどこかで繋がっている。
戦車の中の人の話でした。