私と戦車
noteを始めて5日間で記事を読んでくれた人が1000近くになっていて驚いています。
宣伝らしい宣伝もしていないので・・・。
勝兜戦車が一番読まれて、次が自衛隊怪談の話です。
画像は撮りためたものを使っていますが、戦車の画像ばかりなので機会があったら別な装備の画像を使います。
しばらくは戦車の画像を使いますけどね。
私が戦車を見たのは記憶にある限りでは未だ保育園にも行っていない頃の話である。
北海道の田舎町に生まれた私であるが、ある日物凄い轟音と家が揺れた。
近くにある陸上自衛隊の戦車が公道を走って行進していたのだ。
幼心に怪獣と戦いに行くのだなと思ったのは覚えている。
昔は、公道を戦車が普通に走っていた。
それと叔父が二人自衛官で二人共機甲科であったことから戦車は身近なものだったし、アルバムを見ると幼い私が戦車と一緒に写った写真もある。
自衛隊機甲科あるあるだが、戦車乗りの身内にはかなりの確率で親、兄弟、親戚が戦車乗りである確率が物凄く高い。
そういう意味では私もそうだ、自衛隊に入隊した者で戦車以外いないからね。
なので戦車とは珍しいものでも無く、戦車と接する機会もかなり早くからあった。
陸上自衛隊に入隊して機甲科となり日本唯一の機甲師団の戦車連隊へ配属になったのは冷戦期であり、かなり厳しい時代であったとも言える。
機甲科へ熱烈希望したとか戦車に乗りたくてとか、正直そんなに熱烈希望した覚えはない。
同期には熱烈希望していた者もいたが希望は叶わずに他職種へ行った者の方が多いし、後に他職種の者から「戦車に乗りたくて自衛隊に入隊したのに乗れなかった」という恨み節を本当にたくさん聴いた。
戦車は好きだが、戦車に乗っていた者は嫉妬で好きではないようで・・・戦車の話をしたくても、民間の雑誌や書籍、プラモデルの解説書でしか知らない知識で戦車の話をすると言葉が通じないのである。
民間の軍事用語、戦車用語は自衛隊の戦車乗りには通じないのだ、言語が違うためである。
そういうのもあって戦車乗りはマニア、オタクを嫌っていたりする者が多い。やたらと根堀りは掘り質問してくるからね。
その話はまた別の機会で・・・戦車の用語の話でね。
私は戦車連隊で装填手と操縦手となり、後に戦車大隊に新編された増強戦車中隊も経験した。
戦車連隊は機甲師団で戦闘団の基幹部隊となって、他職種の部隊が配属されて戦闘団が編成される。
つまり主兵が戦車なのである。
通常の師団・旅団は普通科連隊が基幹となって戦闘団を編成し、戦車は普通科に配属される。
これって同じ戦車でもかなりやることが違うのだ。
今は消滅してしまった全国にあった戦車大隊は普通科に配属される戦車で、中隊長は1尉だが、戦車連隊の中隊長は3佐なのだ。
ちなみに増強戦車中隊は方面直轄の戦車中隊で3佐が中隊長である。
同じ戦車でも運用が違うと全く違うことを頭じゃなく、実体験で知ったのは戦車乗りとして貴重な経験をしたと思っている。