F-104
F-104のことを「最後の有人戦闘機」と呼んでいたのを子供の頃に聴いて「へーそうなんだ」と思ったのを覚えている。
だがドローンは出てきたが、F-104以降も有人戦闘機は無くならなかった。
スターファイターとも称された超音速戦闘機として航空自衛隊で使われていた。
中学生の頃に地元の公園に展示されていたこともあり、親しみのある戦闘機でもあったが今は撤去されて無いのが残念だ。
第二世代ジェット戦闘機に分類されマッハ2級のジェット戦闘機であった。
米空軍では短期間の運用で終わったが、冷戦下には日本、タイリア、台湾、西ドイツなど米国の同盟国や友好国を中心に世界15か国で使われた。
現在は全機退役して使われていない。
西ドイツ空軍では「未亡人製造機」と呼ばれ多くのパイロットが亡くなった。
「縁起の悪いジェット機」、墜落を地面に突き刺さる鉄杭で揶揄した「アンカーボルト」または「エルドナゲル(テントのペグの軍隊用語)」などの仇名で呼ばれていた。
西ドイツ空軍においては、916機中292機が失われた。
墜落が相次いだため、第二次世界大戦の撃墜王で西ドイツ空軍総監のギュンター・ラルら軍上層部は批判にさらされた。
一方、導入選定時、同じく第二次世界大戦の撃墜王だが西ドイツ空軍大佐として部隊司令・パイロットとして、いわゆる現場近くにいたエーリッヒ・ハルトマンは、当機の導入を反対していたとされる。
航空自衛隊は、日本での要撃任務用途にあわせて火器管制装置などを改良したF-104J、および複座の練習機F-104DJを採用した。
日本にとっては、独自で機体選考を実施した最初のジェット戦闘機ともなった。
空自では栄光という愛称を持つ。
三菱重工業がライセンス生産を担当し、細い胴体に極端に小さな主翼という形状から、空自の現場では「三菱鉛筆」の愛称もある。
1963年から1974年8月までに大事故を起こした機体は24機、うち墜落した機体は20機となっている。
F-15Jの配備に伴い、1986年に全機が退役した。
1950年代から60年代初頭の、F-104が選定された当時はミサイル万能論が隆盛を誇った時期でもあった。
対戦車ミサイルがあるから戦車は要らない、空対空ミサイルを搭載しているから戦闘機に機銃は要らない、大陸間弾道弾があるから戦略爆撃機は要らない、などの様々なミサイルの優位を説いた論のなかで、最も極端なものの一つが「地対空ミサイルがあるから戦闘機は要らない」というものがあった時代の戦闘機でもある。
これって・・・今も一部の軍事オンチが言ってることだよね?
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