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戦車廃止論?

戦車不要論というのはかつてからあった。
日本に戦車で攻め込むことが出来る能力と国力があるのは米軍くらいだろう、ロシアだってそんな国力は無いなんて話をしたり顔でするにわか軍事評論家が上から目線で偉そうに言うのを何度も聴いた。

対機甲戦闘で戦車対戦車が例え日本国内で起きることが無いくても、日本国内に重火力重装備の部隊が無くて、敵がゲリラ戦や軽装備の部隊しか上陸しなかったとしたら戦車はいらないという頭の悪いことを言っている。

敵が軽装備だからこそ戦車等の重装備がものを言うし、絶対的優位になる。
戦車に突っ込まれる恐怖とか机上の空論をしている奴には判らないんだろう。
事実、諸外国で戦車不要論を実践した国々が、再び戦車を装備する動きになっているじゃないか。
ただ一度廃止した戦車を今一度配備するハードルは物凄く高い。
戦車の購入は他国から買うしかない、高価で簡単に数を揃えて敵となる国に脅威となるような優秀な戦車となればなおさらだ。

良い戦車を売ってくれる国と交渉するか、自国で開発し製造するか・・・それこそ簡単じゃない。
戦車を入手できても、肝心の戦車に乗る要員の要請と訓練もお金と時間もかなりかかる。
良い戦車を入手しても敵と戦える戦車乗りがいなくては意味がない。
せっかく戦車を手に入れ戦車乗りの訓練を一通り行って戦場に投入しても動かすことは例え出来ても戦車で戦う「戦車兵」を養成しなくては、戦車を放棄して逃げ出してしまう。
実際にウクライナでそういうことが起きた。

戦車の運用は一日にしてならない。
戦車の周辺の整備や補給なども揃えないといけないとなるとノウハウだけでも簡単に得られないし、要員の養成も戦車兵同様時間もお金もかかる。

戦車を入手するのも難しいのに、その戦車を運用する人員を養成し運用するまで数年以上かかる。

簡単に戦車を廃止したら、いざという時にどうにもならなくなるのは目に見えている。

日本は戦車を廃止にはしていないものの、戦車を激減させてしまった。
世界は戦車を欲しているのにだ。
戦車が無くても良い世界情勢ならいざ知らず、戦車を減らすことは彼の国に侵略させる機会を作っているとしか思えない。

戦争は軍事的空白が起きれば「今がチャンス」と侵攻するのが古今東西の常識なのだから。

日本は戦後一度も戦争していないではないかという憲法九条論者が言うが、それは自衛隊と米軍が日本にいるからだ。
戦車という敵にとって脅威となる武器があったればこそ、日本に手出しもしにくくなることを軍事評論家は判っていないか、彼の国の手先か工作員で日本の防衛力の弱体化を意図しているのだと思う。

戦車を残せというのは戦車好きだけだという暴論を吐く扇動家工作員の言葉に耳を傾けてはいけない。

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